読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

岸本佐知子、柴田元幸編訳「アホウドリの迷信 現代英語圏異色短篇コレクション」

アホウドリの迷信 現代英語圏異色短篇コレクション

 

  お二人のサイン本なんだよねー。この二人のサインが並んで書かれることってそうそうないだろうから、貴重だよね。

ま、それはさておき。本書にはこういった海外文学の目利きとして誰もが認めるお二人が選んだ未だ日本国内ではさほど知られていない作家のちょっと風変わりな作品が収録されている。ラインナップは以下の通り。


「大きな赤いスーツケースをもった女の子」レイチェル・クシュナー(柴田訳)

「オール女子フットボールチーム」ルイス・ノーダン(岸本訳)

「足の悪い人にはそれぞれの歩き方がある」アン・クイン(柴田訳)

アホウドリの迷信」デイジー・ジョンソン(岸本訳)

「アガタの機械」カミラ・グルドーヴァ(柴田訳)

「野良のミルク」「名簿」「あなたがわたしの母親ですか?」サブリナ・オラ・マーク(岸本訳)

「最後の夜」ローラ・ヴァン・デン・バーグ(柴田訳)

「引力」リディア・ユクナヴィッチ(岸本訳)


 そして、それぞれ一作選出した後に「競訳余話」としてお二人の対談が挿入されているという作り。まあ、見事に知らない作家ばかりだ。内容については実際に読んでみていただくのが一番だと思う。タイトルから汲み取れるものもあるし、読んでみないと見当もつかないものもある。
ぼくが一番印象に残ったのは「アガタの機械」かな。ほどよい幻想味、はかない美しさ、特異なキャラクター、驚き、いろんな感情がせめぎ合い、強く印象に残った。他の作品も短くて簡潔なものばかり選ばれているから、比較的とっつきやすいと思う。


 でも、こういうアンソロジーに出会うと、当たり前のことなのだが、本当に書き手は自由に書けるんだなと思う。与える側の可能性は無限なのだ。受けとる側の読者のほうには、それぞれ素地も必要だし、千差万別だと思う。例えば「アホウドリの迷信」という短編にはそのままアホウドリがでてきたりする。それも家の中のテーブルの上に突然現れたりするのである。ここ一つとっても、アホウドリを知っている、知らない。その大きさを家の中に置き換えて想像できる、できないで受ける印象もまったく違うものになると思うのである。細かくいえば、鳥特有の無機質な目や、意外に生々しい足回りなんかも思い描けるかどうかでまったく印象が変わってしまう。

 そりゃあ、こんなこと言い出したら際限ないとは思うんだけど、こういう作品集読んだら、思わずそう感じたってわけ。書く方と読む方、いわば能動的作業と受動的作業。これのバランスがうまくとれた時に感動や驚きが生まれる。

 ぼく?ぼくは半々て感じかな。どちらかといえば、柴田先生の選ぶ作品のほうが好みだったかも。それにしても、楽しい読書でした。