読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

スティーヴン・キング「異能機関(上下)」

異能機関 上 (文春e-book)

異能機関 下 (文春e-book)

 子供たちを拉致して実験をくり返している秘密組織。くり返される虐待そのものの仕打ち。すべては見えない。でも、読ませる。描かれる子供たちの日常。しかしそれは日常ではない。何かが進行し、裏で、見えないところで何かが蠢いている。天才少年ルーク。物語は、彼の成功を勝利を描くのか?

 もう一人、本書で活躍するであろうキーパーソンがいる。事情があって警察を辞したティム・ジェイミースンという男だ。彼は、開巻早々登場する。彼の来し方、行く末が描かれる。どんな鈍感な読者でも、彼がルークと出会って、手助けすることになるのだろうことは、予測つくだろう。まだ、物語の核心である超能力はさほど語られていない。でも、それがどういう風に使われているのか、なんとなく予想はついている状態。願わくば、彼らが無事生還することを祈るのみ。

 

 後半の盛り上がりにおいて、三箇所の場面転換でグイグイ牽引していくところが一番ヒートアップした。当たり前だ。すべてが連携してそれぞれの結果が杞憂を決めるのだから。敵と味方の動向を明確に描き分け、読み手の心理を煽ってくるキングの手腕は相変わらずで、こういうところは定番のおもしろさだと思うのである。

 しかしキング、お年を召されて堪え性がなくなったのか、昔ならもっと執拗に書き込んで主要人物たちを虐めぬいたり、過酷な状況に追い込んだり、そうしておいてどんどん読み手を煽ってヒートアップさせておいて、最後に大いに溜飲を下げてくれるかさらにカオスな状況に追い込んでいくかって展開になっていたんだけど、本作含め最近はかなりおとなしくなってしまったなあと思うのである。

 これは「ドクター・スリープ」の時に特に感じたことなんだけど絶対的な悪がいてそれに立ち向かう構図の中で、物語の帰結がかなりあっさりついてしまう。え?こんなに簡単に?と戸惑ってしまうくらい悪はあっさりやっつけられてしまう。これはもしかして今の時流に合わせたキング流のアップデートなのか?いやいや「心霊電流」では、そんなことなかったぞ。何も起こらない上巻なのに、無類におもしろく、引っ張って引っ張って最後に現出する怪異は、さすがキングと大いに溜飲を下げたではないか。でも、よくよく思い出してみると、あの時も昔に比べておとなしくなったなぁとは思っていたか。

 やはり、サスティナブルやコンプライアンスなどの影響で、そういう作りになってしまっているということなのだろうか。キングが丸くなったのではなくて、仕方なく時流に合わせているってことなのだろうか。そう考えると「ファイヤスターター」のとんでもない絶望感や「トミーノッカーズ」の阿鼻叫喚のラストや「IT」のラスボスを倒す時のえー!!!そんなことになっちゃう!!!って展開も、今の時代では映像化も不可能だし、もっと抑えられた描かれ方になっていたのかもしれない。まったく関係ない話なのだが『ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団』という古い映画があって、あれなんか物語の最初にタイの少年が仏像泥棒を捕まえようとして、頭を撃たれて血まみれで死んでしまうという今では絶対ありえない展開で、ウチの子なんか成人した今でもトラウマ映画だと話題になるくらいなのだが、ああいうある意味大らかというか、何も感知しない自由な作りがもう通用しないんだよね。

 そういった意味で昔からのキングを知っている身としては、かなりあっさりした(といっても、途中の子ども達が受ける仕打ちはかなりヘヴィなんだけど)味付けだなとは思うんだけど、リーダビリティはいつものキングであり、扱われているテーマや少年少女たちが主人公だということもあって、オビの『王道回帰』や『本領炸裂』は伊達じゃないなと思うのである。これだけの分量をダレることなく読ませるんだから、やっぱり凄いよキングって。