読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

春日武彦「屋根裏に誰かいるんですよ。  都市伝説の精神病理」

屋根裏に誰かいるんですよ。 都市伝説の精神病理 (河出文庫)

 

 特別「屋根裏の散歩者」に思い入れがあるわけではない。ていうか乱歩自体あんまり好きじゃないんだけどね。一応、その短編は読んでいるんだけど心にも残っていない。だから、屋根裏を徘徊するだとか、そうして他人の私生活を窃視するとか、そういった行為にドキドキもしないし、後暗い憧憬をもつこともなかった。

 しかし、しかしである。そういった荒唐無稽な事柄を真剣に訴える人が多いということに驚き、且つ興味をもった。落ち着くところは狂気である。人が陥る不条理な精神。誰かがウチの屋根裏に住み着いて、目を盗んで物を盗ったり動かしたりする。そんな、ありえない話を真剣に訴える人がいるというのだ。

 精神が変調をきたすと、勝手な妄想がすべての事柄を意味のあるものに関連づけ、その人独自のストーリーを、さもあったことのように組立て論理を構築し成立させてしまう。それは、本当にあったこととして処理される。やがて妄想は肥大し、壮大な成長を遂げ話は宇宙にまで広がってしまったりする。思い詰めると角が生える。鬼という字はそういう意味だ。誰しもそういう狂気に陥る素地はある。しかし大方の人はそういう状態に陥らない。やはり思いつめるとタガが外れてしまうのだろう。

 本書では著者が集めた数多くの事例が紹介される。その中には実話として、とある既婚女性の愛人が二十年以上もその夫婦が住む家の屋根裏に囲われて生活し続けたなんて話も出てくる。本当に?そんなこと出来る?と驚いてしまうが、本当なのだそうだ。

 そういった事例も紹介しながら、いったい人の妄想が作り出す『屋根裏の住人』もしくは『幻の同居人』という発想はどこからくるものなのかを考察してゆく。やがてそれは、個々の家という括りで、その中で起こるあらゆる狂気としての事例が紹介される。かつて存在した座敷牢、徘徊老人を柱に鎖で繋ぎとめての行動制限、親が死んでもその事実を何年も隠して同じ屋根の下で暮らしている息子、まさにオゾマシイそれらの行為は、しかし当事者になったならもしかして自分もそういう行動をとるのではないか?という一抹の不安を心に残す。

 ぼく自身、子どもの頃にいろんな妄想にとらわれていた(子どもの頃って、そうじゃありませんか?)。夜寝てるときに二段ベッドの柵から足を出したら切り落とされるって信じていたし、犬の散歩のときに犬が振り向いてこっちを見たら、前にお化けがいるって思っていたし、金縛りにあったとき、手がふとんの外に出ていたら連れていかれると信じていた。

 連れていかれる?

 どこへ?

 なぜそう思っていた?

 その感覚だけが残っていて、もどかしい。

 誰でも素地はある。『物語の胚珠』は誰の頭の中にもあるのだ。

「非日常の謎 ミステリアンソロジー」

非日常の謎 ミステリアンソロジー (講談社タイガ)

 なんとなく講談社タイガって、ラノベのレーベルなんだと認識していたけど、違うんだね。
 普段あまり手出さないレーベルなんだけど、作家陣に興味引かれて読んじゃいました。収録作は以下のとおり。
  

 「十四時間の空の旅」辻堂ゆめ

 「表面張力」凪良ゆう

 「これは運命でない」城平京  

 「どっち?」木元哉他

 「成人式とタイムカプセル」阿津川辰海
 
 「この世界には間違いが七つある」芦沢央

 本のタイトルにもあるとおり、非日常をテーマに皆が腕に縒りをかけて趣向を凝らしている。
 
 非日常といっても、その切り取り方はさまざまで、フライト中の飛行機の中にはじまり、ラストの芦沢作品なんか、そうきたかー!!て感じの異色作だったし、なかなか楽しめた。いってみれば、ミステリ的状況なのがすでに非日常なんだけどね。

 特に印象に残ったのは凪良ゆうと城平京かな。前者は、あまりにも円環が閉じまくっているのがご都合主義的なんだけど、視点の変化と構成の妙で、ちょっとしたハラハラ感があっておもしろかった。

 後者は、シリーズ物のあの人がでてきて、お得な感じ。扱っている謎もこの人らしく、あれこれ考える派生の美学みたいなのがあって独特。ラストに、あの『彼女』も遠目だけど登場するしね。

 というわけで、薄い本だしすぐ読めちゃうけど、豪華な執筆陣と共に楽しめる一冊なのであります。

山田風太郎「元禄おさめの方 時代小説コレクション 天の巻」

 

山田風太郎時代小説コレクション 天の巻 元禄おさめの方 (宝島社文庫 『この時代小説がすごい!』シリーズ)

  久しぶりの風太郎なのであります。知らない短篇がほとんどだから、読まなくっちゃね。ラインナップは以下のとおり。

 「万人坑」

 「蓮華盗賊」

 「降倭変」

 「幻妖桐の葉おとし」

 「黒百合抄」

 「家康の幕の中」

 「叛心十六歳」

 「元禄おさめの方」
 
 相変わらず、他の凡百の作家とはまったく違う時代小説という魔界を見せてくれる風太郎なのだが、何が凄いといって、これだけ荒唐無稽な、ある意味バカバカしいといってもいい事柄をことさら真面目にすました顔してさらっと書いているようにみせて、史実はしっかりおさえて歴史を改変することなくすべてすとんと落ち着くところに着地させるところが素晴らしい。

 実際、ほんとうは風太郎の描いたとんでもない歴史が史実なのではないかと錯覚しそうになる程だ。そんな不思議な感覚に陥る真骨頂がラストの三遍。大権現から綱吉の時代まで、それぞれの歴史的事件を鮮やかにかっさらって、まったく違う景色をみせてくれる。

 本書の解説に風太郎本人の言が載っているのだが、本人はこういう話を書いていていつも困惑するのは読者の予備知識をどこまであてにしていいのか、ということで近松門左衛門が言うように芸は実と虚の皮膜の間にありなのだが、いったい読者の「実」、いわゆる歴史的予備知識はだんだん失われていってるのではないか、とのたまっておられる。

 でもね、解説で日下三蔵氏も言っておられるが、ぼくなんか中学三年で風太郎に出会って、そういった歴史の素地なんて皆無だったにも関わらず、たちまち風太郎の沼に首までズッポリはまってしまったくらいだから、そんなこたぁまったく気にしなくていいのである。そういった予備知識は後からついてくるもので、ノー・プロブレム。で、長ずるにしたがって風太郎の物語がどれだけの構築美をもって輝いているのかがわかって、さらに平伏すことになるのである。

 本書の最初の二編はそれぞれ中国とインドが舞台の異色作。シッダールタが生きて動いているの初めて見ました(笑)。それ以降は日本の歴史物。「降倭変」は秀吉最大の愚行である朝鮮出兵を描いているから実質日本が舞台じゃないけどもね。

 それ以降は、時代物としてのおもしろさに満ちた幻妖でカチっと収まるべきところに収まった作品ばかり。まあ読んで驚けってところだね。ほんと、風太郎は驚きの作家だ。彼と皆川博子は別格なのであります。

高畑京一郎「タイムリープ(上下) あしたはきのう」

 



 


 確か、これの旧版持ってたと思うんだけど、見つかんないから新装版買っちゃった。で、読んでみたんだけど、これ上下巻に分けちゃだめだよね。一冊にしたら千円までで買えたんじゃないだろうか。こんな薄いのに二巻に分けるって、あざといなー、まったく。

 ま、それはおいといて内容なのだが、これが世評に違わずしっかりした話で、簡単にいえば一人の女子高生が時間を行ったりきたりする話。それも、意識だけが飛んで過去や未来に行くのである。だから、タイムトラベルじゃなくてタイムリープなのだ。意識が飛んで、次に気がついたときに自分が何日何曜日のどの時点にいるのかがわからない。これって怖いことだよね。自分だけが埒外に置かれてしまうし、その違和感を周りの人たちは理解できないのだ。自分も何がどうなっているのかわからないし、周囲からは何言ってんの?という顔をされる。今日は何曜日?くらいの質問だったら、まだ許容範囲だけどね。

 で、主人公の鹿島翔香はその日が月曜だと思っていたら、火曜だったということに気づく。え?確か昨日は日曜だったはず。だから月曜の時間割で用意してきたのにと思って鞄をあらためると、ちゃんと火曜の準備がしてある。え?じゃあ、本当に火曜なんだ!でも、月曜の記憶がまったくない!いったいこれはどういうこと?

 ま、これがとっかかりなのだが、その前にささやかなプロローグがあって翔香は唇にやわらかい感触を覚えて目覚める。目の前にはクラスメイトの男の子の顔。え?キスされた?両肩つかまれてるし、なに?キャー!!!なにすんのよー!!!と、男の子を突き飛ばしてそこを飛びだし、階段から転げ落ちるところで意識を失うのである。

 さてさて、ここからが伏線張まくり(ていうか、もう張られてるんだけど)の展開で、翔香はなんらかの法則にのっとって過去や未来に飛んでいる。で、その順番がバラバラだから、すでに起こったこと、これから起こることがごっちゃになる。そこで登場するのがクールな秀才若松和彦。プロローグで翔香にキスしていた彼が彼女を救う救世主となる。

 この若松がすんばらしい頭の持ち主で、この前代未聞の現象を理路整然と処理するのである。時間移動がどうして起こるのか?過去と未来への意識のジャンプはどう選択されているのか?そもそもこの現象はどうして起こったのか?またこれを食い止めることはできるのか?

 そこでこの話に食い込んでくるのが、改変の概念だ。過去を変えると未来は変わる。だから、過去へ飛んだ時の自分の行動が未来の自分を危機にさらすこともあり得るのだ。これは、怖いよ。結果が分かっている場合、そこへ辿りつけるのかどうかが分からないのだ。ここらへんの描かれ方が秀逸で、彼らがあれこれ考え答えを導き出す過程の整合性がとれているから、物語の完成度が高められている。その時点での立ち位置が正確に反映されていないとおかしいことになるし、また正確に反映されることによって、驚きや発見が強調されるから、見事な伏線回収も相まって、抜群の威力を発揮しているのだ。

 ま、とにかく未読の方は読んでみて。短い上に読みやすいからすぐ読めるんだけど満足感は保証いたします。

「四神足」

 悲しい気分がなくならないので、今よりハッピーになるようにお参りしようと出かけたはいいが、どこへ行けばいいのかまったく思い浮かばず、あてどなく歩いていたら、北へ二十里進んだところに大きな石の上にのった給油機があった。

 

 給油機なのである。しかし、周りに笹がうっそうと茂っており、給油機の背後には遥か上段に続く先の見えない階段があって、そこはかとない威厳を漂わせており、なんとも近寄りがたい雰囲気を醸し出している。

 

 とりあえず給油機の真正面に位置を移してみようと思うのだが、少しビビっている気おくれはあって、もしかして石をよじ登ろうとした途端に取返しのつかない罰が当たったりしないかな?という不安がなかったわけではない。

 

 しかし、心機一転という言葉を実践しなくては今の状況に変化は訪れないと自分を奮い立たせて石をよじ登った。

 

 と、

 

 階段の上段遥か彼方からドドドドドドドドドーッという地響きと耳を塞ぎたくなるような轟音が鳴り響いて、何かがこちらへ向かって下りてきたのである。

 

 それは足が四本ある神で、それぞれの足が関節の動きを無視したような回転をしてバラバラに動いており、裸の上半身には大きな乳房があり、それがタプタプと上下左右に無秩序に跳ねており乳首には金色の大きな輪っかがついていて動きの中で何回か左右が寄ったときに澄んだチーンという音を鳴らしていた。

 

 肩には左右とも人面疽みたいな(ていうか人面疽だろ、あれ!)がついており、それぞれが鉈と釘を咥えていた。

 

 頭は怒髪天を衝く燃えさかる炎のような赤い髪が猛り狂って波打ち、耳たぶにも大きな輪っかがぶら下がり、焦点の合わないいびつな目が血走ってこちらを睨もうとしているのだが、どうにもとらえられていないようだ。

 

 その神が(神なんだろうな?)給油機の裏側に到達して姿が見えなくなった。あれほどの轟音で地響きたてて下りてきたのに、すん、と姿が消えた。

 

 ?と思っていると、ヒョコっと給油機の裏から顔が出てきた。相変わらず目は合わない。どこを見ているのかわからない。

 

 「息災であった。四神足はわかるか?」

 

 わかるわけない。

 

 「であろうな」

 

 言ってないのに伝わった!!!!

 

 「あたりまえだ。神なんだから。四神足とは欲神足、勤神足、心神足、観神足といって四つの優れた瞑想のことをいう」

 

 ついていけないよ。

 

 「むべなるかな。まあ、はやい話がその四つの瞑想を極めると神通力を得ることができるのだ」

 

 そんな力は、近鉄の特急くらい必要ありません。そう言って、ぼくはその場を後にした。太陽を背にしているのに、ゆく道に影は落ちていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

呉 勝浩「爆弾」

 

爆弾

 話題作だもんね。しかも、ちょっと前に「雛口依子の最低な落下とやけくそキャノンボール」を読んで、こりゃあ凄い書き手だと認識したところだったから、期待するよね。

 無差別爆破テロ。こんなのが本当にあったら、手も足も出ないよね。偶然誰かが爆発物を見つけて、未然に防げたってシナリオならあるだろうけど。でもそれじゃあドラマにはならないから、本作では容疑者が登場する。彼は、しょうもない傷害事件で連行され、取り調べの最中に霊感がはたらいて、秋葉原で事件が起こる気配がすると言い、時刻まで指定する。そして、その通りに爆発が起こる。色めきたつ刑事たちにさらに追いうちをかけるように彼は言う。

 『わたしの霊感じゃあここから三度、次は一時間後に爆発します』

 ひえぇぇぇー!!じゃん?これから、まだ爆発すんの?どこで?というわけで、この容疑者を(でも本人は、無関係だと主張していて、あくまでも霊感によって次の爆破を予告すると主張するのである)取り調べするのだが、こいつは押しても引いてもまったく動じないやつで、挙句の果てには爆破時刻や場所をクイズにするのである。

 警察側は、この食えない容疑者に振り回され、すべてが後手後手になってしまう。いったいこいつは何者なのか?

 おもしろく読んだ。次が気になる展開でもあった。しかし、ところどころにサンデル教授が出す命題のような善悪の可否、自分と他者との価値判断などが出てきて、それは実際こういう事件に直面するとどうしても浮上してくる命題なのだが、それが少し鼻についた。また、この得体のしれないスズキ タゴサクという容疑者がどうして警視庁の頭脳明晰な頭一つ飛び抜けた刑事と互角に、いやそれ以上に渡り合えるのか?そこらへんを納得させるバックグラウンドが描かれていないので、不満が残った。

 でも、まあラスト一行の不穏な終わり方は特筆に値するし、先にも書いたがリーダビリティは抜群なのである。年間ベスト級かと言われれば、そこまででもないかと思うのだが、おもしろかった。読んで損はなしだと思うのである。

オルハン・パムク「無垢の博物館(下)」

無垢の博物館 下 (ハヤカワepi文庫 ハ 2-6 epi104)

 語りは主人公ケマルのものなのだが、物語半ばでオルハン・パムクが登場し、この本は彼が書いていることがわかる。また、ケマルが私設博物館を創設して、そこに愛するフュスンゆかりの品を展示していることもわかってくる。しかも、読者はそこを訪れてケマルが説明するゆかりの品を鑑賞していることにもなっている。そう、本書は過去を振り返っているのである。すでに事は終結している。それは悲劇で終わり、ケマルはそれを乗り越えていまはすべてが落ち着くところに落ち着いているのもわかる。

 さらに驚くことに、本書は現実と物語世界がリンクしており、イスタンブールのチュクルジマ地区に実在する無垢の博物館を訪れることもできるのである。え?実在する?そうなの?知らなかったー!!で、調べてみたら、ほんとにあんの!Googleマップでトルコのイスタンブールを見にいくと、すぐ見つかるんだもの驚いたー。

 それはさておき、上巻でなんか引くわーという感想しか得られなかったのだが、こうしてすべて読了したいまもそれは変わらない。一切共感が得られなかった。ていうか、なにしてんの?という疑問符が終始つきまとっていた。決して、傑作純愛小説とは思わないし、ケマルだけではなくトルコの男性一般もなんだかなーって感じだし、長い物語でもあり、なんとなく親しみはあるんだけど本質の部分では受け入れられなかった。しばらく、この人の本は読むこともないかなと思うのである。

 こんな感想、ぼくだけなんだろうか?文庫のオビのいとうせいこうも、金原ひとみも言っていることまったく理解できないんだけど。無垢?破綻じゃないのか?これは『破綻の博物館』じゃないのか?