読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

城戸喜由「暗黒残酷監獄」

 

暗黒残酷監獄 (光文社文庫)

 

 なかなか煽情的なタイトルでしょ?でも、内容は、このタイトルから期待する印象とは、ちと違う。少なくともぼくはそうだった。主人公は高校生の椿太郎。人妻との不倫をこよなく愛し、ちょっと常識とはかけ離れた思考回路をもつ男で、ここが好悪の分水嶺になっているみたいだけど、ぼくは肯定派であります。

 たしかに、自分の身内にこういう奴がいたら、なかなかめんどくさいことになるよね、とは思うけど、話としてはおもしろいし、いままでにないタイプの主人公なので、このスタンスを貫いて完走するのはなかなか大変じゃないの?と興味津々で読みすすめた。

 誰もが気になって引っかかってしまうのが、椿太郎の非情さだろう。まず彼の姉が磔にされて殺されるのだが、それに関しても淡々と受け入れ、なんなら日常に入り込む非日常の雰囲気をワクワクしながら、待ち望んでいるのだから大したものじゃない?

 そんな彼が殺された姉の残したメモの『この家には悪魔がいる』というメッセージを元に、事の真相を知るべく、私立探偵さながらあらゆる手を使って調べあげてゆく。

 で、事の真相は、なかなか入り組んだもので、ここでミステリとしての伏線と回収や殺しのトリックなんかが登場するわけなのだが、これがなかなか堂に入ったもので、しっかりした構築美があるから侮れない。

 結構内容はしっかりしている。こんな言いかた失礼だけどね(笑)。友達がいない孤立した状況のはずなのに、そこそこモテたりするところは違和感あったけど、それで話がおもしろくなってるんだから、それはそれでいいじゃない。でも、伏線回収が細かい部分にまであって、マザコンのヤクザがどこでどう出てきたのかが、ぼくの中でまだ回収しきれてない(笑)。

 この人、次書くのかな?かなり楽しみなんだけど。

伊坂幸太郎編「小説の惑星 ノーザンブルーベリー篇」

 

小説の惑星 ノーザンブルーベリー篇 (ちくま文庫)

 というわけで、伊坂幸太郎編のアンソロジー二冊目なのであります。こちらのラインナップは以下のとおり。

 眉村卓「賭けの天才」

 井伏鱒二「休憩時間」

 谷川俊太郎「コカコーラ・レッスン」

 町田康「工夫の減さん」

 泡坂妻夫「煙の殺意」

 佐藤哲也『Plan B』より「神々」「侵略」「美女」「仙女」

 芥川龍之介杜子春

 一條次郎「ヘルメット・オブ・アイアン」
 
 古井由吉「先導獣の話」

 宮部みゆきサボテンの花


 こちらも、新旧及びジャンルとりまぜてにぎやかなメンバーだね。眉村卓「賭けの天才」はショート・ショートなのだが、オチが秀逸。これは読んでいるぼくもぞわぞわしちゃいました。井伏先生の「休憩時間」は、なんとも微笑ましいスケッチ。青春の情熱とバカっぽさ青臭さが充溢してます。谷川俊太郎「コカコーラ・レッスン」は、頭の中で起こる壮大なパノラマが体験できちゃいます。ぼくは頭悪いから、こんな思考もったことないです。「
 町田康「工夫の減さん」は、なんとも残念な人が出てくる。それは、その人が真面目で真剣であればあるほど、こちらはおかしくなってしまうというあの法則で成り立っている。それにしても町田氏の表現て独特。

 泡坂妻夫「煙の殺意」は、ちょっと思いつかない逆説的な動機による犯罪を描いたミステリ。こういうの書かせたらこの人の右に出る人いないよね。また亜愛一郎のシリーズ読みかえそうかな。

 佐藤哲也の作品は、四百字でそれぞれおさめられているほんとのショート・ショート。ぼくの好みではない。感覚的にね。

 「杜子春」は、まあよく知っている話で、大昔に読んだのかも定かでないけど、二回豪遊している部分はすっかり忘れていました。まあ、めでたしめでたしで終わって良かったよね。

 次の一條次郎「ヘルメット・オブ・アイアン」は、その「杜子春」をなぞらえて描かれたもう一つの杜子春の話。でも、この笑いはあまり好みじゃないな。おふざけがおふざけのまま完結している感じがして・・・。

 古井由吉「先導獣の話」は、なかなか手強い。何気なく総体として認識していた人間の行動がとある理論のもと完成された論説として導き出されるのかと思いきや、話は少しづつズレて、なんとも不穏な世界に落ち着く。ここには欲望とか、情熱とか、食欲とかはない。無味で不毛でモノクロな世界が広がってゆく。

 宮部みゆきサボテンの花」は、奇妙な出来事がすべて実を結ぶという鮮やかな作品で、そういった意味ではすぐれたミステリであり、情に訴えるいい作品である。しかし、この人の描く子どもたちは賢すぎていけない。「ソロモンの偽証」でそれは際立っていたからね。

 というわけで、ぼく的には前回のオーシャンラズベリー篇のほうが好みかな。でも、新しい作品に出あえるという意味で、この二冊、読んで損はなしなのであります。
 

伊坂幸太郎編「小説の惑星 オーシャンラズベリー篇」

小説の惑星 オーシャンラズベリー篇 (ちくま文庫)

 こういうアンソロジーが大好きなのです。伊坂氏の作品は最初期の「重力ピエロ」を読んで、まったく合わず、「チルドレン」は、すごく良かったけど、あまり積極的に読まない作家さんなんだけど(でも、映画の「フィッシュストーリー」は、すっごくおもしろかったよね?)、彼が編んだアンソロジーは興味ありありなのだ。
 ラインナップは以下のとおり。

 永井龍男「電報」
 
 絲山秋子「恋愛雑用論」

 阿部和重Geronimo-E, KIA」

 中島敦「悟浄歎異」

 島村洋子「KISS」

 横光利一「蠅」

 筒井康隆「最後の伝令」

 島田荘司「大根奇聞」

 大江健三郎「人間の羊」

 まあ、これだけいろいろ毛色が違った作品が並ぶと、おもしろいよね。最初のほうは、これといって特別感もない作品で、日常を切りとっただけなんだけど、それでも読ませる。特に絲山秋子のなんて事務員と営業の客の会話だけで成立している話なんだけど、こういう関係ってあるもんね。で、こういうノリで話したりするもんね。内容なんてあってないようなもんで、この雰囲気が素晴らしい。

 伊坂氏は敬愛しているみたいだが、ぼくは阿部和重という作家に身構えてしまう。なんだが、固すぎて歯が立たず、部厚すぎて向こう側が見えないって感じ?まだ、この人の長編読んでないからなんとも言えないんだけど、このぼくの感じとる嗅覚はなかなかいい仕事するんだよね。

 中島敦は、教科書で「山月記」読んで、毛嫌いしていたんだけど、これはおもしろい。誰もが知っている(ほんとか?)西遊記の世界を沙悟浄の目を通してトレースしてるわけなのだが、沙悟浄のある意味哲学者めいた述懐と分析がこの世界の成り立ちを際立たせている。理屈が真っ当なだけにかなりの説得力なのだ。

 島村洋子「KISS」は、枯れているようで、ほのかに甘酸っぱく、でもほんのり辛い話で、これがすべて合わさると『せつない』感情が生まれる。ぼくなら、こういう行動はとらないと思うけど、作品として味わうのはOK。

 横光利一「蠅」は、たしか高校の国語の教科書に載っていたのではなかったか?授業中に読んだ憶えがある。短い作品ながら簡潔で衝撃的な群像劇で、タイトルになっている蠅は実際のところ何もしないんだけど、それを媒体として俯瞰することで、物語が成立しているというわけ。

 筒井康隆「最後の伝令」は、むかーしに読んだ記憶があったけど、当然細かい内容は忘れていて、ほとんど初読の感じ(笑)。「ミクロの決死圏」という映画があって、のちにアシモフが小説にしていたが、あれの筒井版だね。最後の驀進してくるものが何なのか気になる~。

 「大根奇聞」初めて読みました。謎を解くのは御手洗です。すとんと、落ち着く解決が気持ちいいよね。島田荘司の時代物テイストとしては「暗闇団子」のほうが好きだけど。

 大江健三郎も、あまり得意じゃない作家なのである。だから初期の短編集「死者の奢り・飼育」一冊読んで離れちゃったんだけど、ということはこの「人間の羊」も読んでいるはずなんだけど、まったく憶えてませんでした。でも、再読してもやはりあまり好きじゃない。


 というわけで、なかなか楽しめました。お次はノーザンブルーベリーいってみよう!

パトリック・マッケイブ「ブッチャー・ボーイ」

 

ブッチャー・ボーイ

 時は1960年代、ところはアイルランド。ここに一人の少年がいる。フランシー・ブレイディー、田舎のどこにでもいる負けん気の強い男の子だ。本書は、その彼が回想の形で語りだすところから始まる。

 だから、本書の体裁は彼の口語体だ。そして、これが最初とまどう。フランシーの語りはとめどなく流れる。意識の流れとして繰り出される言葉は、際限なくあふれ読む者を圧倒する。それは区読点を無視して描かれる。彼の意識はダダもれだ。そうして浮上してくる世界を目の当たりにしたわれわれは、その不浄な世界に再びとまどう。

 フランシーを取り巻く世界に青空はない。彼の目の前に気持ちの良い風は吹かない。彼の感じる音は不協和音でしかない。彼にふりかかるさまざまな不幸。どんどん追いつめられているにも関わらず、彼の口から紡がれる言葉は、まるでスタンドアップコメディアンのマシンガントークのように陽気で諧謔に満ちている。そこでぼくは三度とまどう。

 でも、彼はずっとずっと涙を流しているのである。それは報われることない涙だ。彼は、自分が涙を流していることに気づいてさえいない。こんなに、こんなにつらいことなのに、こんなに、こんなに厳しい現実なのに軽い調子で語るフランシーの目には涙が溢れてとまらない。それは、流れつづけて彼の痛みを癒さない。彼は死ぬまで癒されない。読んでいて、こんなに胸が苦しくなったのは、いつぶりだろう?

 彼は大人になる。もちろん、なる。でも、彼の心は小さいままだ。涙も乾くことはない。目の前が明るくなることもない。昨日は、ずっと昨日のままだ。決して明日は、こないのである。

平山夢明「八月のくず」

八月のくず 平山夢明短編集

 ほんと久しぶりの短編集。主に井上雅彦監修のアンソロジー異形コレクション』に収録されたもの。収録作は以下のとおり。

 ・「八月のくず」
 ・「 いつか聴こえなくなる唄」
 ・「 幻画の女」
 ・「 餌江。は怪談」
 ・「 祈り」
 ・「 箸魔」
 ・「 ふじみのちょんぼ」
 ・「 ≒0・04%」
 ・「 あるグレートマザーの告白」
 ・「 裏キオクストック発、最終便」 

 まあ、いつものとおりタイトルを見ただけでは何のことかまったくわからんのだけども。相変わらず、ロクでもない非情でグロテスクな世界が描かれる。
 今回は、いつもそこはかとなく感じられるインテリジェンスな匂いがあまりしなかった。原点に回帰したなんて謳われているが、いやいやそんなことござんせん。あの驚異的な傑作「独白するユニバーサル横メルカトル」には到底およびません。

 今回も、貧窮どん底の世界もあれば、呪詛にも似た怨嗟が呼応する作品もあり、まるっきりSFの世界もあれば、バカっ話もあってバラエティーにとんだ作品集となっているんだけど、総じてなんか薄味になってきているような気がするんだよね。

 もしかして、平山作品読みすぎて、頭のネジがバカになってるのかな?おそらく、この作品集で初めて平山ワールドに出会った人たちは、かなり驚くんだろうけど、ぼくはまったくそんなことはないのであります。

 あれ?ぼくの頭、わりくなったのかな?

 ぼくのあたまをしじつでよくしてください。これいじょうわりくなるとこまるので。

相沢沙呼 「 medium 霊媒探偵城塚翡翠」

medium 霊媒探偵城塚翡翠 (講談社文庫)

さすが、各ミステリーのベストで一位をとっただけのことはある。なかなか驚かせてくれますよ。
 
 遅まきながら、文庫化を機に読んでみたのだが、ほんと寝て読んでたら、思わす起き上がっちゃったってくらい面食らいました。

 本書は、短編形式で四話収録されていて、各話完結という形で進められていく。登場するのは、タイトルにもなっている霊媒探偵 城塚翡翠とその相棒役となる推理作家の香月史郎。この二人が主体となって、それぞれの謎を解いてゆく。そして、その合間に挿入されるシリアルキラーらしき男の独白。懸命でない読者であっても、このシリアルキラーがラスボスで登場するんだろうなと察しはつく。

 当初、すごいミステリなんだという期待で読みはじめたが、確かに霊媒によって犯人を知るというミステリにあるまじき行為にえ?となり、でもそれを成立させるために、後付けのロジックを組み立てるという試みが、なかなか新しいなと感じ、いってみれば変格の倒叙になるんだなと感心したけど、各話のロジック的には、なんかちょっと弱いかな?やっぱりこんなもんなのかな?て感じで、でも翡翠の萌えキャラがおじさん的には、DQNな感じでなになに翡翠ちゃん、かわええーのうと喜んでたけど、それもこれも、ねえ。ほんとに、ああた、凄いことになってるんでございます。
  
 いってみれば、本書の最終章は、あの「魔法少女まどか☆マギカ」の神回といわれる第10話の衝撃の再来だ。まさに天地がひっくり返る。どんでん返しの度合いが素晴らしい。キャラがどうのこうのとか、騙された感がどうのこうのとか、どうでもいい。ミステリとしての結構の美しさと、試みの斬新さでは、近年希にみる出来のミステリだとおもうのである。

遠野遥「教育」

教育

 中学生の頃のぼくなら、本書のような学校、まるで夢のような!と喜んでいたかもしれない。しかし、不惑もとうに過ぎ、還暦に一歩づつ近づいているこの歳になってみれば、あまり手放しで喜べない。

 なんせ、本書に登場する謎の学校は『一日に三回以上のオーガズム』を得ることで、成績が向上すると宣うのである。だから、生徒たちは男女共、気軽にSEXを楽しみ、学校側が提供するポルノビデオでせっせとオナニーするのである。いろいろ仕掛けてあるが、奥深くはない。何か意味が隠されているのなら、作者の力不足だろう。ここには、未来も過去もなく善も悪もない。システム化された閉鎖空間の中で、物語は、自らを増幅させ表層を塗りかためてゆく。オーガズムに支配された世界。空虚で感動が皆無の世界。

 だから、読者は始終手探りなのだ。それぞれの解釈が成立し、それぞれのイメージが再生される。彼らが目指しているのは、ESP能力。それは未知の世界であり、語られない物語が溢れている世界だ。しかし、そこには確立されているシステムがあり、登場人物たちはその中で頂点を目指して日々オーガズムを得ることに集中する。

 普通なら相反する事柄を並列に語ることによって、この世界は歪みを伴い成立する。歪みは違和感だ。しかし、その違和感は常に読む者の頭の中に居座っているのに、それを正面から見据えることなく物語は進んでゆく。淡々と、何事もなく。体液でソファが汚れようが、よだれの匂いをさせていようが、それは日常だ。

 この、なんとも不埒なのに平然としている世界がもどかしい。しかし、それが表面に浮上してこない。なんとも、クセのある作品だ。