読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

C・J・ボックス「復讐のトレイル」

 

 

 

 続けて読める幸せを噛みしめた。でも、ここへきてさらに状況は悪化しているんですけど。だって、この巻でジョー自身の身辺そのものが脅威に晒されているではないか!

 つい先日、本シリーズの最新刊が東京創元社文庫から刊行された。その「発火点」で13作目、本書は8作目、おっともう少しで追いついちゃうぞ。思い起こせば、10作目の「狼の領域」が刊行されてどこかで熱い熱い紹介を読んで、このシリーズを遅ればせながら読み始めたのだが、まあ、すんばらしいシリーズでありまして、どれをとっても高水準の冒険ミステリに仕上がっております。

 今回は、ハンターばかりを無惨に殺す連続殺人犯を追うジョーの活躍が描かれる。しかしそこには、ジョーの上に立つ様々な人々の軋轢や思惑が錯綜し、ことあるごとに行く手を阻み、打つ手打つ手が先回りを予測して結局ふりだしに戻ってしまう。折しも狩猟反対運動を展開する人物があらわれ、事件を大々的にアピールして反対運動を推し進めようとする動きが関係者たちの首をゆっくり絞めてゆく。

 今回はね、ジョー君、まさしく四面楚歌。次の巻でいったいどう盛り返すんだ?という非常にまずい状況に陥ってしまっていて、またまた気になって仕方ない読みたいでも読めば終わっちゃうジレンマにはまってしまってます。

 こうやって物事が収拾つかず、次になだれ込んでゆくってのは月並みなんだけど、やっぱりおもしろい。ぼくは遅れてきた読者だから、次々読もうと思えばできるわけで、これをリアルタイムで読んでいた人は、次の巻の刊行までほんと長かったんだろうね。

 ジョーは相変わらずだし、彼の家族は新たな顔を見せてくれたりして驚くし、シリーズ通して親しんできた登場人物があんな目にあっちゃったりするし、ほんと目が離せない。

 次の巻も波乱の巻みたいだし、いろいろ残っている問題も含めて、あー悩ましい。

C・J・ボックス「フリーファイア」

 

フリーファイア (講談社文庫)

フリーファイア (講談社文庫)

 

 

 

 

 安定のシリーズでございます。馴染みの登場人物たち、ブレないジョーの信念、毎回新たな切り口を見せるストーリーとどこをとってもおもしろ要素満載なのである。

 今回は、イエローストーン国立公園内での事件を扱っている。さすがに名前は知ってるけど、行ったこともないし、どんなところなのかってまったく知らなかったイエローストーン。みなさん、そんなぼくみたいな無知な人間でも本書を読めば、そこそこ行った気になっちゃうんですよ。それくらいここにドップリはまっちゃうんだな、これが。

 イエローストーン記念公園はそのスケールからして桁違い。アイダホ、モンタナ、ワイオミングの三州にまたがる9000平方キロメートルの大自然公園。日本でいうと鹿児島よりちょっと小さくて広島よりちょっと大きいくらい?どんだけなんだよ!だから、州がまたがるこの地域では事件が起こっても法の抜け穴によって陪審員が選出できない『死のゾーン』という特殊な場所があって、そこで起こった事件は裁判が成立しないから罪に問えないというなんとも矛盾した事が起こってしまう。だから四人の若者を射殺したクレイ・マッキャンという弁護士は人を殺していながらも、釈放されてしまうのである。えー!!でしょ?事実本書が書かれたあと、この『死のゾーン』の抜け穴をなくす法律を作るために上院議員が動きだしたそうだ。

 前回の事件で猟区管理官をクビになっていたジョ―は、ワイオミング州知事に呼び出され職務復帰を条件にこの事件を捜査するこになる。物語のとっかかりはこんな感じ。

 とにかくイエローストーン国立公園が素晴らしい。世界最大の間欠泉があるこの火山地帯は、驚きと発見の宝庫で、ま、この事件もそれが元で起きてるんだけどね。この一帯は60万年に一回大噴火を起していて、いまが丁度その時期でありいつ噴火が起こってもおかしくないなんて話も出てくる。もしこの大噴火が起これば、吹きあがった火山灰で1000キロメートル以内の90%の人が死に、地球の平均気温は最大10度下がり、その寒冷気候は6年から10年間続くなんて推測されているのだ。

 それ絡みで、ショッキングな死の場面が出てきたり(長年読書してるけど、こんな場面は見たことないよ、ホント)、奇妙な現象があったり、いやあ本当に一回行ってみたいよね。

 あと、いままで軽くしか触れられなかったジョ―の家族と過去の話が明らかになることも言及しておきたい。ジョ―の全体像がこの鮮明になったバックグラウンドによってより強調されたとぼくは思う。

 このシリーズ少しづつ読みすすめようなんて言ってたのだが、だめだ、本書を読了して続きが気になって仕方がない。続けて次の「復讐のトレイル」を読んでいる。だって、ああた、あの人があんなことになって、どうなるのかって安否が知りたいじゃないの!で、読みはじめたら、いきなり過去に登場したあの女が再登場して、わあ、こいつまた出てきた!ってなってる。

 ほんとクソおもろいなこのシリーズ。

阿部智里「発現」

  

 

発現

発現

  • 作者:阿部 智里
  • 発売日: 2019/01/30
  • メディア: 単行本
 

 

 

読んでいる間、ずっと小野不由美の「残穢」みたいな話なのかと思っていた。何代も続く負の連鎖。物語は平成三十年と昭和四十年を交互に切り取りながら進んでゆく。接点はあるんだろうけど、繋がりは見えないまま不可解な現象に直面する人々が描かれる。自ら命を絶ってしまうような恐怖。自分以外の人には理解されないその幻視は、時を経て繰り返される。

  結局、それが何なのかはわからない。事は、終息していない。物語は帰結をむかえないまま閉じてしまう。ファンタジーともホラーとも違う。いったいここで何が行われているのか?ぼくは、その思いを反芻しながら本を閉じた。

  驚くべきは、ラストの展開だ。お涙頂戴的な場面でこちらはウルウルしてるのに、思いもよらない衝撃の一行によって横っ面を張りとばされてしまった。ここは、すごい。こんな転調いままで体験したことがなかった。まさにトドメの一撃だ。どういうことかは、実際読んで確認していただきたい。きっと驚くよ。

  しかし八咫烏のシリーズで慣れ親しんできた著者初のノン・シリーズだが、これはあまり成功してる作品とはいえない。注目すべき点はあるが、佳作でさえないとおもう。

北村薫 編 「北村薫のミステリー館」

 

 

 あまり趣味が合わないのを承知で読んでしまうんだうよね。巻末の宮部みゆきとの各作品についての対談にしても、なんだかピンとこないなぁと思いながら読んでるんだけど、なんなのかな、この違和感は。
彼らの話している言葉がストレートにこちらに伝わってこない部分と、なぜそんな些細なことにこだわってことさらその部分を強調して褒めるのかがわからない部分があって、三段論法みたいに畳みかけてきたとしてもそれが納得できないから、何を言ってるのかわからないと思ってしまう。う~ん、ぼくの頭が悪いのかな?ただ単に趣味が合わないのかな?いつも引っかかるんだよなあ。

 でも、それでも読んでしまうわけなのです。中にはお!と思う作品もあったりするからね。本書は、結構まえに刊行されてたんだけど、取りこぼしていましたね。まったくノーマークだった。千街昌之氏のTwitterで本の存在を知って、さっそく読んでみたわけ。収録作は以下のとおり。

『こちらからどうぞ』 

 「きいろとピンク」 ウィリアム・スタイグ

 「夜枕合戦」「枕の中の行軍」 岸本佐知子

『こわいものみたさの間』

 「犬」 スワヴォーミル・ムロージェク 

 「虎紳士」 ジャン・フェリー 

 「クレイヴァリング教授の新発見」 パトリシア・ハイスミス

 「息子」 オラシオ・キロガ

『ミステリーの大広間』 

 「告げ口」 ヘンリ・セシル 

 「二世の契り」 ヘンリイ・スレッサー 

 「フレイザー夫人の消失」 ベイジル・トムソン 

 「二十三号室の謎」  ヒュー・ペントコースト

 「わたしの本」 緑川聖司

 「盗作の裏側」 高橋克彦

『不思議な書庫』

 「神かくし」 出久根達郎

 「日本変換昔話「少量法律助言者」」原倫太郎/原游

 「本が怒つた日」 稲垣足穂

『ことばの密室』

 「契戀」「桃夭樂」 塚本邦雄

 「滝」 奥泉光

 「バトン・トゥワラー」 ジェーン・マーティン

 一番期待していた「滝」が不発だったんで、ちょっと物足りない。しかし、岸本佐知子さんのエッセイには笑った。この人センスあるよね。話の広げ方が素晴らしい。あと「少量法律助言者」に驚いた。よくこんなこと思いつくよね。ギクシャクした挿絵と相まって、おもしろいというよりお化け屋敷めいたいかがわしい怖さを感じたのはぼくだけだろうか。塚本邦雄氏の作品は味わい深かった。こういう作品は自分で見つけて読むってことがないので、とても贅沢な気分になる。こういうのがあるからアンソロジー読んじゃうんだよね。奥泉光氏の「滝」はさっきも書いたけど、あまりよくなかった。こういう雰囲気嫌いなんだ。神の教えとか信者とかヘレニズムとか耽美とか。もろ三島でやんの。あまりそういうのは好きじゃない。物語的にもなんだか不発だった。でも、その続きでの「バトン・トゥワラー」は良かった。こちらも、神がかり的なスピリチュアルな方に話が転んでいくけど、この感覚はわかる。ていうか、「滝」の並びだからこそ映えるんだと思う。ありだと思います。

 というわけで、読むか読まないかといえば、やっぱり読んじゃうんだよなあ。

ドン・ウィンズロウ「ザ・ボーダー(下)」

 

 

 

ザ・ボーダー 下 (ハーパーBOOKS)
 

 

 

   下巻にうつって、物語は一気に減速する。この印象は、あくまでも個人的なものなのだが、それがすべてなので書かずにおれなかった。麻薬カルテル撲滅という百万年たっても勝つみこみのない戦いに決着をつけるべく、我が身を犠牲にしてまで挑み続けるアート・ケラー。対するカルテルは、内部分裂ともいうべき混乱状態にあり、互いの寝首をかこうとそれぞれの組織のトップがしのぎを削っている。

  この本来なら緊張感ただならない張りつめた空気の中で、しかし世界は正念場ではなく、サブのストーリーを描いたりする。それも効果を狙ってのことなら、大きく溜飲も下がるのだがそうでもない。

  アート・ケラーは、孤高の存在だ。彼は、常套を履行せず自分の信念のままに行動し、信じる道を貫きとおす。それは、周囲を大きく呑み込みどんどん世界は、淀んでゆく。それでも彼は怯まない。ここらへんの呼吸は、かの半沢直樹かと見紛うほどである。

 しかし、その姿勢が物語を弛緩させる。「犬の力」や「カルテル」で感じた獰猛な肌触りは鳴りをひそめ、カットバックの手法で描かれているにもかかわらず、そこにカタストロフは皆無だった。

 だから、ぼくとしては大いに腰砕けの印象をもった。いや、それでこのサーガの評価が下がるかといえば、そうでもないんだけどね。でも、この長大なシリーズをこれから読もうと思われている方、ぜひ、「犬の力」から順を追って読み進めていただきたい。それが、もっとも正しい道なのであります。

窪美澄「アニバーサリー」

 

 

アニバーサリー(新潮文庫)

アニバーサリー(新潮文庫)

 

 

 

ほんと久しぶりにこの人の本を読んだ。これが三冊目だ。デビュー作と「青天の迷いクジラ」は、どちらも素晴らしい作品で、とても感銘を受けたので、本書も強烈なインパクトを与えてくれるのだろうと期待していたら、これが少し違ったみたい。

 本書で描かれるのは世代の違う二人の女性の人生。片や70代のあばあさん。片や30代の未婚の母。それぞれが東日本大震災が起きたときに、再会する場面から一気にそれぞれの生い立ちへと物語はシフトしてゆく。70代の晶子は第二次世界大戦を生き延び、激動の昭和を乗り越えいまも現役のマタニティスイミングコーチとして働いている。一方、カメラマンでささやかに食いつないでいる真菜は、料理研究家として名を成した母の陰で物に満たされ心が満たされない子ども時代を経て、自分を安売りする学生時代を過ごし、未婚で身ごもり一人で産んで育てる決心をする。

 まったく違う二人の女性。世代も性格も生い立ちも。本書の大半はそれぞれの女性の半生にページが費やされる。戦争によって、心底ひもじい思いを味わった晶子。寂しい家庭生活の中で自分の居場所がわからなくなり唯一の友達に依存していく真菜。それぞれが違う人生を歩んで、やがてそれが交差する。そこにあるのは、思いやりと人と寄りそう気持ちだ。終戦や大震災といった人生の岐路となる出来事は、それが祝福されないものであっても『アニバーサリー』となる。

 人は生きてゆく上で、数々のイベントに立ち会う。幸もあれば不幸もある。どちらであってもそれを乗り越えて人は進んでゆく。老いも若きもすべて等しく人生の幸と不幸はある。

 そういったことは伝わってくるのだが、しかし本書はインパクトに欠けた。この人の作品にしては、イマイチ強調されたものがなかった。概ね二人の年齢の違う女性たちの人生を追体験し、不安の中にも少しの希望と残酷な現実を感じながら物語は閉じられる。うーん、少し弱いんだなぁ。

泡坂妻夫「11枚のとらんぷ」

 

 

 

 泡坂妻夫氏の初長編作品である。

 初長編だからして、ここには色々な試みがなされてる。しかし、最初に断っておくがそれがパーフェクな結果として反映されてないのも事実だ。少なくとも、ぼくはそう感じた。

 でも、非常にユニークでおもしろいミステリに仕上がっている。

 登場するのは11人のアマチュアマジシャン。同好会として日々練習をかさねる彼らが表舞台に立つときがきた。20周年を迎えた公民館の記念行事に参加することになったのだ。11人がそれぞれ自分の得意とするマジックを披露していく。成功するものもあれば、失敗するものもあり一喜一憂するメンバーたち。やがてショーはフィナーレを迎える。しかし、大団円ともいえる大掛かりなマジックの見せ場で登場するはずの女性が、どこかに消えてしまったのである。唖然とするメンバーたち。いったいどういうことなのか?

 女性はその時すでに殺されていたのである。彼女はマンションの自室で死体となっていた。団員の一人である作家の鹿川舜平が書いた短編小説「11枚のとらんぷ」に出てくるマジックの小道具に取り囲まれて。

 う~ん、非常におもしろい謎ではないか。ゾクゾクしてくる。しかも、短編小説「11枚のとらんぷ」が作中作として本編に挿入されているという凝りようだ。この短編が、また凄い。いってみれば11のマジックとそれの種明かしの話なのだが、これがかなり読ませる。そして、言わずもがなだが、この短編が重要な鍵になっているのだ。

 で、最初の話に戻ってくるのだが、本書のトリックはさほどのものではない。誤解を招くかもしれないが、溜飲が下がるほどのものではないとぼくは感じた。その部分は少々不満だった。

 しかし、しかしである。短編「11枚のとらんぷ」のおもしろさも言うにおよばず、本書はやはりとても魅力的なのである。まず、なにより全編に漂うユーモアがいい。絶妙だ。何度も笑ってしまった。

 そして、それと相反するように描かれる真相の恐ろしさよ。そこだけ切り抜いたように、浮き上がってくる恐怖だ。冷たい剃刀の刃を感じてしまった。このへんの呼吸はポーターのドーヴァー警部シリーズ「切断」と似ているかもしれない。

 というわけで、あの「亜愛一郎」シリーズでおなじみの三角形の顔をした老婦人も登場する本書は、そういった意味でやはり読んでソンのないミステリだと思うのである。