読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

山田風太郎「八犬伝(上下)」

 

 

 ぼくが読んだのは朝日新聞社の単行本なんだけど、これで書きます。もちろん、当時初版で買いました。ぼくは丁度中学三年だったかな?風太忍法帖の洗礼を受け、もう風ちゃんにメロメロになっていた時期でございました。

 でも、これ忍法帖じゃないでしょ。それに単行本でしょ。だから中学生の身にとっては読めるのかな?買って結局読めませんでしたってことにならないかなって買うのをえらい逡巡したのをおぼえております。しかし、思い切って買って読みはじめたら、ああたこれがすこぶるおもろいでやんの。八犬伝は、この本が刊行される前年に鎌田敏夫の「里見八犬伝」が角川ノベルズから刊行されていて、ぼくはそれをたいそうおもしろく読んだので、馴染みがあったし、ま、いってみれば素養はあったんだよね。

 で、風太郎版「八犬伝」はっていうと、そりゃあ普通に描かれるわけがなく、虚の世界と実の世界が交互に語られるという構成をとっている。虚の世界は、もちろん八犬伝の物語の世界。実の世界はそれを執筆する曲亭馬琴の世界となっている。

 中学生のぼくにとって忍法帖でない風太郎小説はなかなか刺激的だった。ここには史実に基づいた物語があった。まだ虚の世界しか知らなかったぼくには新鮮な物語だった。しかも、しっかりと虚の世界も描かれているのだ。やはり、山田風太郎は間違いなく最強のエンターテイナーだった。

 それぞれの世界が呼応しながらラストに向けて収束してゆく。二十八年にもわたって書き綴られた八犬伝という物語。曲亭馬琴葛飾北斎という二人の天才。はっきりいって、紆余曲折が多く脱線につぐ脱線の本家本元より、この山風版『八犬伝』のほうが数億倍面白いのは必定。

 未読の方は是非お読みくださいませませ。

紗倉まな「春、死なん」

 

春、死なん

春、死なん

  • 作者:紗倉 まな
  • 発売日: 2020/02/27
  • メディア: 単行本
 

 

 堅実で確かな文章で綴られる物語は、しかし的確ではない印象を与えられる。たとえれば、しっかりした土台の上にバランスの悪いオブジェが置かれているような感じ。根本のところでは安心感もあり、この人は技量もあって確かだと感じるのだが、行を追うにしたがってところどころ浮ついたその場所にきっちりとはまっていない言葉たちに戸惑う。

 ゆえに描写が頭の中にイメージとして固定されず、同じ箇所を何度も繰り返し読んでいるという確認ループに陥ってしまう。扱っているテーマもその作用によってぼやけた印象になって残ってしまう。

 本書には二編収録されている。表題作は妻に先立たれた70歳の老人の日常が描かれる。一人息子の家族と離れ的な二世帯住宅に住み、穏やかな日々を過ごしているの。ここで扱われているのは老人の性だ。70になってもアダルトDVDを観ながら自慰をする老人。ここでちょっと疑問を感じるのはぼくだけだろうか。古希を過ぎてもやはり性欲はあるのだろうか。やっぱりあるんだろうな。いやそうか?うちのオカンが言うには、それは人それぞれちゃうん?て言いよんねんけど、じゃあそうか、やっぱりあるんかー・・・とミルクボーイ・ループに陥ってしまう。

 二編目は「ははばなれ」。少し世間の常識とズレてる母と、結婚はしているけど、まだ子どもがいない娘とのささやかな確執が描かれる。これは、表題作よりはストンと身体に入ってきた。母と娘という強迫観念的なつながりは普遍だし、否定しながらも従ってしまうような避けられない矛盾もよくわかる。親子でありながら同性だという肌触りレベルのもどかしさを内包して物語は解放に向けて進んでゆく。

  どちらの作品もラストは一瞬で空気が抜けるように鮮やかに解き放たれる。やさしさが常に寄り添う。思いやりという人と人とのつながりが決して切れることなく続いている。どうだろう?この人、いままでの作品はもういいかなって思っちゃうけど、これからの作品は注目していようと思う。
 

 

ドン・ウィンズロウ「ザ・ボーダー(上)」

 

ザ・ボーダー 上 (ハーパーBOOKS)

ザ・ボーダー 上 (ハーパーBOOKS)

 

 長く続いた麻薬戦争だ。泡沫でしかないぼくはまるで関係ない場所で、この地獄の沙汰を静かに辿っている。同時代の同じ世界で日々を過ごすぼくとあまりにもかけ離れた現実に気持ちが落ち着かない。これは、このシリーズを読めばいつも喚起される心の波だ。

 驚くことに、この感情は毎回新鮮に訪れる。軽々と弄ばれる。それは、ここで描かれる事柄が、われわれと地続きであるにもかかわらず、あまりにもかけ離れているからだ。それは、とても幸せなことだとおもう。厳しい現実、過酷な人生、悲惨な末路、耐えられない痛み。こんなこと、経験しなくていいのなら、それに越したことはない。でも、世の中は怒りにまみれ、暴力はいつでも傍にあるのだ。

 本書のストーリーは、紹介できない。これは何十年も続く南米のカルテルとそれを阻止しようとする男たちの物語であり、事細かな説明は一切無駄なのだ。未読の方はぜひ第一作の「犬の力」から読んでほしい。解説で杉江松恋氏が、本書から読んで遡る手もあるなんて書いているが、いやいやそんなことはない。やはりこの壮大なサーガは最初から読むべきなのだ。

 さて、ぼくは上巻を読了した。長い長い時間をかけて読み終えた。これから下巻だ。また長い旅が始まる。

今村翔吾「火喰鳥 羽州ぼろ鳶組」

 

火喰鳥 羽州ぼろ鳶組 (祥伝社文庫)

火喰鳥 羽州ぼろ鳶組 (祥伝社文庫)

  • 作者:今村 翔吾
  • 発売日: 2017/03/15
  • メディア: 文庫
 

  さにあらず。なにが?うーん、ぼくの本書に対する印象がね。前評判の良さから、シリーズ物としてさぞかしおもしろくて、魅力的なんだろうと思っていたのであります。

  火消しという特異な分野を扱っていて昔の消防事情に驚くこともあったし、登場するキャラクターそれぞれが領分をわきまえ持ち味を出して描かれているから、場面が混乱せずスッキリしていて読みやすい。しかし、ぼくはそこに不満を感じてしまった。

  すべてがステレオタイプに感じてしまったのだ。物語の進行もキャラクター設定もとても巧みだけど想定内。読みながら想像したとおりに描かれて、すべてにおいてカタルシスがなかった。また、でてくる人に悪い人間がほとんどいないということも気になった。中心に据えられる羽州ぼろ鳶組の面々も、みな真っ直ぐで熱くて好ましい。当たり前か。もちろんシリーズになっているのだから、この先なんらかの変化はあるのかもしれないがもう続きはいいかなと思ってしまった。 

  少し気になったのが人物の出し入れで、主要メンバー以外の人たちの立ち位置と役割及びバックグラウンドが印象づけられなかった。だから、苗字の字が変わってしまっても気にならないのかもしれない。なんのこと?と思った方は、ぜひ本書を読んで確認してほしい。因みにぼくが読んだのは、初版であります。

  というわけで、このシリーズもう読まないと思う。ジョー・ピケットのシリーズはいくら読んでも次を待っている自分がいるけど、本シリーズはこういう結果になってしまった。そういうことなのだろう。

山田風太郎「忍法剣士伝」

 

忍法剣士伝 忍法帖 (角川文庫)

忍法剣士伝 忍法帖 (角川文庫)

 

 

 

 これはかなり豪華なキャスティングの忍法帖なのだ。時は信長の時代。剣士の後援者としても有名であり自らも剣士として名を成した北畠具教のもとに十二人の剣豪が集まっていた。なぜならば、いよいよ信長がこの地にまで手をのばし、北畠滅亡か否かの重大な局面を迎えていたからだ。信長は、自身の息子信雄の嫁として具教の娘、旗姫を差し出せば侵攻はしないというのだが、旗姫自身はその命運を北畠家お抱えの伊賀忍者 木造京馬の言うとおりにすると言う。実をいうと旗姫は京馬のことを好ましく思っていたのだ。

 いやいや、真面目にストーリーの紹介をしようと思ったけど、やめておこう。どうして?いや、本書はね、山田先生のおふざけがMAXになっちゃった作品だから、いくら真面目に紹介したって事の真相に直面したら、誰もが唖然としちゃうこと請け合いですから。以前にも紹介した「自来也忍法帖」てのがあったけど、あれのオープニングにも度肝抜かれたけど、本書は、ああた、名のある剣豪たちがみな揃ってとんでもない事になってしまうのであります。

 ここに登場するのが果心居士由来の幻法「びるしゃな如来」。その術をかけられた女人を見た男は、その女性を手に入れようと異常な執着を示すが、近づいて十歩圏内に入ると激しく精を漏らして腰砕けになってしまうというなんとも恐ろしい術なのである。

 で、それにまんまとかかってしまったのが十二人の剣豪たちなのだ。その名を挙げると、

 ・ 林崎甚助

 ・ 諸岡一羽

 ・ 富田勢源

 ・ 宮本無二斎

 ・ 吉岡拳法

 ・ 宝蔵院胤栄

 ・ 柳生石舟斎

 ・ 鐘捲自斎

 ・ 伊藤弥五郎(のちの伊藤一刀斎

 ・ 上泉伊勢守

 ・ 塚原卜伝

 みな実在の人物ですよ。時代物に詳しくない人にとったら誰?って感じだろうけど、山田先生は、これらの剣豪のそれぞれのエピソードも盛り込みながら話をすすめるので、これが無類に楽しい。かくいうぼくも半分くらい知らなかったもんね。で、素晴らしいのがこんなばかばかしい話を大真面目に展開して、尚且つそれをページ措く能わずという手並みですすめてゆくその手腕と、こんなばかばかしい話を史実と無理なく絡めて、驚くことにそれがこの結果招いたなんて結論まで導いてしまう手際の良さなのであります。

 まあ、やってくれるよね。解説で中島河太郎先生も読み終わるのが惜しいほどおもしろいと書いているけど、それほどでもないにしろ、おもしろいのにかわりはなく。風太忍法帖の中では中くらいの出来かなって思うけど、ガチャガチャと楽しい本なのであります。

丸谷才一「快楽としての読書 海外編」

 

 

快楽としての読書 海外篇 (ちくま文庫)

快楽としての読書 海外篇 (ちくま文庫)

  • 作者:丸谷 才一
  • 発売日: 2012/05/01
  • メディア: 文庫
 

 

 
ずいぶん長い時間をかけて読んだのだが、これはおもしろかった。何がおもしろいといって、評者が丸谷才一だというのが、まず一点。この小説巧者であり希代の小説読みが書評を書いているのだからおもしろくないわけがない。でも、だからこそ本書を読むには、ある一定の文学や歴史などに対する基礎知識が求められるんだけどね。なんてエラそうに書いているぼくにしたって、この中にまるっきりわからない事柄なんて沢山あったけど。

 でも、それでもおもしろい。丸谷才一の魅力以外にもここで取り上げられている本自体のおもしろさ(まだ、読んでないにもかかわらず)もかなりウェイトをしめている。もちろんそれはひとえに丸谷才一の紹介が巧みだからなのだけどね。ここで取り上げられている本の中で、この本を読んでないと気にもとめなかったろう本をあげると
 
 「インタヴューズ」クリストファー・シルヴェスター編

 「ジャマイカの烈風」リチャード・ヒューズ
 
 「バラントレーの若殿」スティーヴンスン

 「ローマ皇帝伝」スエトニウス

 「同時代史」タキトゥス

 「大転落」イーヴリン・ウォー

 などなど。ほんと、本書を読んでないと素通りしてただろうね。しかし、丸谷評を読んじゃうと、もうムズムズしてしまうのである。こう、なんというか、落ち着かなるというか、浮足立つというか、ジッとしていられないような感じになっちゃうのである。

 まじめな話、小説だけに限らない膨大な読書がもたらす成果があって、その上に成り立つゆるぎない信念と計り知れない知識があり、足元にも及ばない圧倒的な書評の大波にさらわれてしまう。ぼくは漂った。ほんと漂った。真にして、柔軟な思考と評価は、方法論としての体系を明確にしているし、そうか、そういう意味があったのか、そういう経緯をへて成り立っているのかと何度も驚いた。ほんと、すごいよね、この人。

 日本編もあるみたいだし、そのうちまた読んでみよう。
 

 

森村誠一「人間の証明」

 

人間の証明 (角川文庫 緑 365-19)

人間の証明 (角川文庫 緑 365-19)

 

 

 
 ずいぶん古い作品だ。これを読んだのはもう二十年も前になるだろうか。森村誠一の小説はこれ一冊しか読んだことがない。とにかく映画が有名でジョー山中のあの耳に残るテーマ曲と『母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね』という西條八十の詩の一節だけが記憶に残っていた。

 でも、映画は観たことがなかった。だから、本書を読んでみたというわけ。ま、時代の古臭い部分はあったけど、やはり森村氏の代表作だけあって、読み始めたらやめられないおもしろさだった。

 感触でいえば清張の「砂の器」系の話だ。真相を知って、胸がギュウッと締めつけられる思いを味わう。どうしてわかってやれなかったのか。どうして浅墓にも自分の地位を先に考えて行動したのか。あんたはそれでも・・・。と、これ以上書いたらネタバレになっちゃうので、ここまでにしておくが、ただ殺人が起こってそれを解決して終わりというだけの作品ではないのだ。

 このミステリの骨格は単純のようでなかなか秀逸。一つのアプローチが波及して多くの因果関係が解きほぐされる。まあ、そこに御都合主義的な匂いを感じないわけではないが、それも大した瑕疵ではない。
物語の波に乗ってどんどん読まされるからあまり気にならない。

 あの時代、戦後の混乱と高度経済成長。目まぐるしく変わっていく日本の中で、人生の波に翻弄された一人の黒人青年。いったい彼はなんのために生まれてきたのか。探求とほぐれてゆく謎の恐ろしさ。
知りたいけど、知らないほうがよかったと思ってしまう。ぼくは、彼ではない。そのことに心の底から安堵する。これは、そういうミステリなのです。