読書の愉楽

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フィリップ・K・ディック「流れよわが涙、と警官は言った」

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 本書のラストでの一場面は、なんでもない場面ながら妙に心に残る。人間の悲しみゆえの衝動がうまく描かれていると思う。そこに配されているのが黒人というのも絵になる。

 しかし、本書には見事に裏切られた。読む前は『存在しない男』となった主人公が日常を失くした悪夢世界からの突破口を捜し求めるサスペンスフルな話なのかと思っていたのだが、本書にそういったハラハラドキドキのスピード感は無縁のものであり、どちらかというと、思弁的な雰囲気さえ漂っているので驚いてしまったのである。描かれているのは相変わらずの不条理世界なのだが、人間の本質としての感情面が全面に押し出されているのだ。

 余談だが本書を執筆していた時期、ディックは失意のどん底だったそうだが、いかにも彼の内面が溢れていて痛々しい感じだ。読了して、少し心が苦しくなってしまった。