読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

島本理生「ナラタージュ」

イメージ 1

ここのINDEX書庫にもあるとおり、お誘いを受けてブログランキングのサイト『ブログウェブ』に参加さ

せてもらってるのだが、そこの文学・カルチャー/文学カテゴリーで現在1位になってるサイトで

石畳の彼方の時計塔へというのがある。たまたまどんな

ブログなんだろう?と興味を持ってのぞいてみたのが運のつき。いっぺんでファンになってしまった。

このブログは現役の高校2年生(3年生?)の女の子が運営しているブログで、読んだ本の感想や、いろ

いろなバトンなどの中に、彼女が体験する日々の出来事が赤裸々に綴られており、これがめっぽう読ませ

るのだ。彼女は東京都内の大学附属高校の合唱部に所属し、小説家になることを夢見ている女の子。高校

生ともなれば学校の友達関係、合唱部での人間関係、家族との軋轢など色々悩み事は多いわけで、そうい

った日常で起こる様々な事柄を時には感情的に、時には淡々とブログに綴ってゆく。なかには内輪ネタな

どもあって部外者にはよくわからない部分も多いのだが、その雰囲気には一種の郷愁にも似た懐かしさを

覚えてしまうのである。感情にまかせて書かれた部分など、他人事でなく胸の奥が熱くなり知らず知らず

のうちにがんばれ、負けるなと応援して強く共感している自分に驚いてしまうくらいなのだ。

と、なぜここでこのようなまったく関係ない話を始めてしまったのかといえば、「ナラタージュ」を読ん

でいた日にこのブログを発見し、なんとも奇妙なことに本の世界とブログの世界とが微妙な相乗効果をも

たらし、なんとも言いようのない感動を与えてくれたから、思わず紹介したくなったのである。

本書「ナラタージュ」は、いってみれば一人の男への想いを断ち切れない女性の物語である。

そう書いてしまえば、とても崇高で美しい恋愛のように感じるが、ここで描かれるのはそんな生易しいも

のではない。本書にきれいごとなど描かれていない。ここには恋愛という異空間に紛れ込んでしまった人

たちの心の叫びが凝縮されている。恋愛とは当時者にとっては生死に関わるほど重大なものであっても他

者にとってはその日の天気ほどの重要性もないものだ。渦中に巻き込まれてこそ激しく感情が揺さぶられ

気が狂うほどに葛藤し相手の出方に一喜一憂してしまう。あの人が泣くから、わたしも泣いた。あの人が

怒ったから、わたしも怒った。あの人が笑うから、わたしも笑った。そんな単純なものではない。

あの人が笑ったから、わたしは泣いた。あの人が悲しんだから、わたしは嫉妬した。あの人が泣いたから

わたしは包んであげた。恋愛とはそういうものだ。

綱引きのように押したり引いたりして、お互いの距離を確かめ共に時間を共有し信頼を高め安心して身を

まかせるのだ。恋愛とはそういうものなのだ。だから時として不可解な行動に出てしまったり、意味のな

い行動で混乱したり、まっすぐ進めばいい道を延々と廻り道してしまったりするのである。

恋愛とはそういうものなのだ。

そういった意味で本書に描かれる狂おしいまでの恋愛は、あまりにも人間的でおおいに共感してしまう。

不可解で理解しがたく遠回りで傍で見ていてとても腹立だしいところなど、まったくそのとおりだと思っ

てしまう。行ったりきたりの繰り返しは、恋愛につきものだ。『逡巡』なんて言葉、恋愛のためにあるよ

うなものだと思う。そういった部分を本書はあますところなく描いている。セリフの言い回しがおかしい

なんてことを大森望豊崎由美両氏が指摘しているが、これはこれでまったく遜色ないと思う。

確かにこんなセリフ、普段口にするわけない。それが例え一世一代の恋愛の場であったとしてもだ。

でも一個の作品としてとらえた場合、ここでこのセリフがなきゃおかしい。ぼくはまったく違和感を感じ

なかった。むしろ、感情が鼓舞されて勢いがついたといってもいい。

とにかく、本書は良かった。久しぶりに心に残る本を読んだと思った。根が単純だから、まったくストレ

ートに本書を受けとめた。っていうか恋愛物あまり読まないから、免疫ないだけかもしれないけどね。

なお、本書の内容と先に紹介したブログの内容がリンクする部分はまったくない。でも、奇妙なことに、

この二つは相乗効果を生み、かつてない読書体験を得た。巡り合わせって、おもしろいよね。

まるで恋愛体験のようではないか。