山田風太郎に始まったぼくの読書癖は、ミステリに傾き当初はやはりライトな作品中心になっていったの
だが、そのうち海外作品にも手を出すようになっていった。この辺の事情はすでに書いた。
しかし、そのうちミステリというジャンルの垣根を飛び越えて、本の持つ魔力にとらわれていくことにな
るのだが、いったいそのさきがけとなった本はなんだったんだろう?とあれこれ思い出してみた。
そこで思い出すのはブロンテ「嵐が丘」だ。昔はどこの家にもあった世界文学全集に必ず収録されていた
この古典の名作をどうして手にとったのかは思い出せない。しかし、やはり文学というものに興味をもっ
た手前、海外の古典作品の一つや二つは読んでおかなくてはいけないだろうという義務感が先にあったの
だと思われる。で、これが案外良かった。めっぽうおもしろかったといってもいい。これを読んで古典も
侮れないなと感じた。だから続けてドストエフスキー「罪と罰」も読んだ。これも当たりだった。
古典というレッテルに怯んでいた自分がバカみたいに思えた。なんだ、古典おもしろいじゃん!古いから
とっつき難いんじゃないか、難しいんじゃないかと思っていたのに、まったくもって普通におもしろいじ
ゃん!と目からウロコだった。
しかし、古典漁りはここで一旦中断される。元来飽き性のぼくには続けて古典を読むことが出来なかった
のだ。そこで方向転換した先にあったのは現代海外文学である。このころ国書刊行会から『文学の冒険』
なんて魅力的なシリーズが刊行されたことも相まって、ぼくは現代海外文学に傾倒していくことになる。
ジョン・アーヴィング、ティム・オブライエン、イザベル・アジェンデ、トマス・ピンチョン、ジョン・
バース、ジャネット・ウィンターソンなどなどまさに目くるめく読書体験だった。
ミステリもSFも好きだけど、現代文学も大好き!とここで今の自分のスタンスがほぼ形成されたと思っ
ている。こうして読書家はやっと土台を築いた。
いまは、その土台に宮殿を建てている最中だ。宮殿は日々増殖して質量を増しているが、まだまだ完成に
は至らない。ミステリ、SF、現代文学、古典文学、時代小説、ホラー、ファンタジー、さまざまなジャ
ンルを飲み込んでムクムクと大きくなっている。これはぼくが死ぬまで増殖をやめない宮殿だ。完成する
こともない。日々、貴重な時間を費やして大きく、高く、深く、広く質量を増やしていく宮殿なのだ。