本書に登場する『脳男』は、その特異なキャラクターにまず驚かされる。
感情を持たず、自律神経を自ら操るという風太郎忍法帖も真っ青の化け物なのだ。
そしてこの化け物が、今まで見たこともない世界を我々に見せてくれるのである。
人間の出発点である赤ん坊は、親が笑いかけると笑い返してくるようになる。笑うという概念を持たな
い赤ん坊が、なぜ笑い返してくるのか?
また、新生児を抱き上げニ、三十センチの距離で顔を見合わせ、ゆっくり口を開閉したり舌を出し入れ
したりしてみると、その子も口をもぞもぞさせ舌を出し入れするようになる。
これは、赤ん坊が大人の行為を模倣しているのではないという。模倣するためには、相手と同じ口や舌
が自分にもあることを知っていてそれを意図的に動かさないといけないのだが、その認識は新生児には
まだない。鏡を見てそこに映っているのが自分だとわかるのは一歳半頃なのである。
これは、相手の身体部位と自分のそれを対応させる「共鳴動作」と呼ばれるもので、はじめから赤ちゃ
んに備わっているものなのだそうだ。
概ね人間は一人ではなく、関係の中に生まれてくる。個人として発達していって、やがて人との関係を
結ぶのではなく、生まれた時から他者を予定している。
親や兄弟、周囲の人たちと関係を重ねるなかで個としての『わたし』を意識し始めるのである。感情も
また然り。それは誰に教えられるでもなく、成長していくなかで自然と身についているものである。
だが、実際に感情表出障害をもつ人たちはいる。映画「レインマン」で有名になったサバン症である。
彼らは一般人と変わりなく仕事もできるし、ごく普通に社会生活を営んでいる。でも彼らには堅物で融
通が利かないという共通点がある。すべてにおいて情緒ではなく論理でことを運ぼうとする。プログラ
ムされたようなな生活習慣をもち、なんでも杓子定規にことを進める。
本書に登場する鈴木一郎は、それが突出した形の究極の存在なのだ。彼の行動は人間の理解する範囲を
越えており、逆にいえば一種のスーパーマンなのである。
それは、完全制御された身体機能からも窺える。彼の肉体は異常な精密さをみせ、その制御された動作
はまるで機械が動いているかのようである。
その他、瞬時にあらゆる事柄を脳にインプットし、いつでもそれを利用することができる。一回本を読
んだだけで、爆弾の処理からヘリコプターの操縦までなんでも出来てしまうのである。
はっきり言おう。物語としての骨子はありきたりだが、この特異なキャラクターに出会うだけでも本書
を読む価値はある。
本書は続きがありそうな形でラストを迎える。それが出るのなら是非読みたい。でも一向に出る様子ない
のだが、出るんだろうか?