読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

ピョン・ヘヨン「アオイガーデン」

イメージ 1

 沼地に近づくと瘴気にやられる。それがわかっていても近づいてしまう。やさしくない人なのになぜか話を聞いてしまい、結局その場を立ち去ることができないでいる。うるさくてかなわないのに、耳を塞ぐことを忘れてしまう。血が流れているのに、それに見とれてしまう。

 そういう感覚。そういう雰囲気。そういう理(ことわり)。それを納得してしまうのが本書の強み。祈りの届かない絶望と、あまりにも酷すぎて笑うことしかできない状況。許してほしいけど、許されない心の轍。

 ピョン・ヘヨン描くところの本書の短編たちは、およそ現実離れした世界ばかりでそこには癒しもなければ、潤いもない。日常を切り裂く鋭い刃は、容赦なく読む者の心に切りつけ、深い傷跡を残してゆく。それでも、そこから目を背けることはできない。誤解しないでいただきたいが、ストーリーがおもしろいからとか、共感するからというわけではないよ。にも関わらず、ぼくは本を閉じることができなかった。

 今日だけでなく、明日も、明後日も、その先もずっとぼくたちは、不安定な毎日を過ごしていかなければいけない。決して幸せではないわけではないけれど、大なり小なり常に不安はつきまとう。それは、いつも影のようにぼくたちに寄りそって、垢のように毎日肌から生み出されてゆく。

 汚いもの、不浄なもの、危険なもの、壊れそうなもの。見えないようにしているだけで、常にそこにあるもの。それは、いつも黒く大きな口を開けてぼくたちを待ちかまえている。隣り合わせでいるぼくたちは、いつもそのことを知りながら、できるだけ上手くそれをやり過ごす。

 生まれてきたことを悔やむような生き方はしたくない。本書を読んで、ぶちまけられた汚物の中に見えないくらいの微かな希望を見た。そう、ぼくたちは生きている。ここにこうして生きて、息をしている。汚いものや、危険なものがあったとしても、それを乗り越えていくことはできる。本書の物語たちは、反面教師だ。だからこそ、極限での本当の姿を見せてくれる。

 近くて遠いお隣の国。寄せる不安と密かに育むちょっぴりの希望。うつろな頭の中に響くのは美しい顔で怒り狂う美女の声。そこには苦いけど噛むことをやめられない不思議なグミがあって、落ち込んだぼくたちは、それを食べ続ける。ねえ、喉が渇いたよ。キミの血をくれないかい?