読書の愉楽

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陳浩基「13・67」

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 短編集なのだが、かなり読み応えがあった。舞台は香港。行ったこともないし、その歴史にも疎い。言ってみれば、全く馴染みもないし、グローバルな文化の成り立ちが内包する混沌とした秩序のなさにも途惑うばかりだ。

 にも関わらず、この最初から反発しか感じない本が、重い腰を上げて読み出してみると、かなりおもしろかった。まず第一に本格ミステリとして完成されていて素晴らしい。六つの短編が収録されているのだが、その構成が時系列を遡る配置になっているところがミソ。一人の名探偵(あ、警察官です)の人生の終焉から始まり、短編を読み進むごとに、その男が若くなってゆく姿を目の当たりにすると、いやでも人生を共有する喜びを感じてしまう。その上描かれるそれぞれの年代が香港の歴史の上で節目になっていて、その事実に疎いぼくでもおおまかな変遷が感じとれた。それがまた、説明的な文章に感じさせることなく、自然に物語の中に溶け込んでいるのも好感が持てる。

 描かれる事件もバラエティに富んでおり、それぞれ工夫が凝らしてある。巻頭の「黒と白のあいだの真実 2013年」は安楽椅子探偵物(でも、かなり変格。このパターンは読んだことがない)。第二話「任侠のジレンマ 2003年」は一人の女性の死をめぐって、香港マフィアの静かな抗争が描かれるのだが、読者は大掛かりなトリックにまんまと引っ掛かることだろう。ぼくはこれを読んで映画「スティング」を思い出した。第三話「クワンのいちばん長い日 1997年」は囚人の監視下の中での脱獄を描いている。これも、当時の香港の情勢とうまくマッチングさせて秀逸な脱獄ミステリーに仕上げている。第四話「テミスの天秤 1989年」は、凶悪犯が潜伏しているビルに突入したオペレーション部隊の任務遂行がまねいた悲劇を描いている。しかし、そこには大いなる謎が隠されていた。第五話「借りた場所に 1977年」は、誘拐物。ここまで読んでくると、まあ一筋縄ではいかないってことがわかっているんだけど、真相までは辿りつけないよね。第六話「借りた時間に 1967年」で作者は、初めて一人称で物語を描く。この語り手が誰なのか最後までわからないのだが、最後の最後で明かされるその名を見て、読者は再び第一話に舞い戻ることになる。

 というわけで急ぎ足で紹介したが、それぞれまことに端正に構築された完璧なロジックのミステリに仕上がっている。秀逸なのは、すべてフェアに手掛かりが提示されていること。また、それが違和感なく、言いかえるなら不自然でなく、あくまでもナチュラルにストーリーに溶け込んでいるところが素晴らしい。基本、スタイルはホームズ物を踏襲していて、読者はすべてお見通しの探偵の振る舞いから、なんとか真相を導きだそうと努力するが、到底辿りつけるわけもなく、真相解明にあたって丹念に手掛かりを拾い上げる探偵の手腕に舌を巻くというおなじみのパターンとなっている。でも、ミステリ好きは、そこに喰いつくんだよね。それが鮮やかであればあるほど、感動してしまうのだ。

 この作者は、ミステリのツボをしっかりと押さえている。その手並みは、もはや古典ミステリの巨匠並みに安定している。そこに加わる作者の香港愛とそれを証明するかのような丁寧な歴史の積み重ね。みんなあわさってすこぶる読み応えのあるミステリとなっております。

 未読の方は是非お読みいただきたい。誰もが認めるミステリだけのことはあります。