読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

証言 part1

 そうすることによって、危機は回避された。すべては終わってしまったのである。用意された約束は五つ。

 羅列すると意味を成さないが、わたしは、それを実行する。そうすることが正しいと信じて。まず最初に割れた額、そして創造主の絶望があり、懇願する猫がきて、三人の家庭教師を経て、永遠の伴侶への憧れになる。

 順番に整理していこう。これはわたしの物語だ。わたしは語り、すべてを晒す。問題は、わたしが語る術を知らないということなのだ。しかし、そうも言ってられないのではじめるとしようか。

 何にもまして重要なのは言葉だ。だからわたしは言葉を並べる。はじめに言葉ありき。そうしてわたしは目覚めた。ゆるやかな滑降が緊急停止したかのような目覚めだ。目覚めたわたしは言葉をもたなかった。舌は固まりまったく動かすことができなかった。わたしは硬いベッドの上であおむけになっていた。身体を動かすこともできない。どうやらなんらかの器具で固定されているようだ。

 身体中が痛い。わたしはどうなってしまったのか?重石をのせたような頭の中でわたしの思考はぐるぐるとまわった。

 「あああ、なんて恐ろしい。なんなんだ、このいきものは!」頭の上から声がして、男の顔がのぞきこんできた。

 「なんてことだ!なんという冒涜だ!わたしはなんてものを作ってしまったんだ!」

 何を言ってるんだこの男は?わたしは、目だけを動かして近くを見まわした。わたしのすぐ傍にあるテーブルに赤い液体の入ったグラスがあった。そこに映っているのは、わたしだった。そこには見たこともない顔が映っていた。額に無惨な縫合跡があった。まだじくじくして生々しい。どういうことだ。わたしは声をだそうとした。だが、こわばったノドから出てきたのは無気味な唸り声だけだった。男は、それを聞くと声をあげてどこかへ行ってしまった。
 少なからずショックを受けたわたしは、ふたたび大きな呻き声を出してしまった。途端に、頭が割れるように痛んだ。普通なら、頭に手をやるところだが、それもできずわたしは身悶えふたたび冥府へと舞い戻った。


 次に意識を取り戻したとき、縛めは解かれていた。しかし、わたしは自身の縛めにとらわれて動くこと叶わなかった。もしかすると縛めなどはじめからなかったのかもしれない。意識はあるのだが、意志のとおりにおのが身体を動かすことができなかったのだ。わたしは、眼球だけを動かして世界を知悉しようと努力した。傍らに毛のかたまりがあった。真っ白で柔らかそうな毛におおわれた小さな物体。それは、意志を持った生物だった。記憶の片隅にあった言葉が浮上してきた。そう、これは猫だ。わたしはこの生物を知っている。傍らにいた猫は、一心に毛繕いをしていたが、目を覚ましたわたしに気づくとこちらにそのしなやかな身体を摺り寄せてきた。わたしはその猫に気に入られているようだ。ささやかな幸せにわたしは流涕した。すると猫はわたしの流した涙を舐め『ミャア』と鳴いた。一度鳴いて、また鳴いた。そしてまた身体を押しつけてきた。それは、懇願だった。この小さい生物は、わたしに何を求めているのか?しかし、わたしはその願いをかなえてやることはできない。ふたたび、流涕。
 

 また、意識をなくしていたようだ。次に目覚めたとき、わたしは股間の不快な冷たさに身体を震わせた。わたしのいる空間は冷たい棺のようだった。暗く静かに何かが降り積もっているようだった。あの愛らしい生物もいない。意志の力を総動員してわたしは、身を起した。明滅する視界、しびれる四肢、身体の中で熱いなにかが逆流し耳の奥でゴオーッという音が続いた。最初に目に入ってきたのはわたしの股間の器官だった。それは、ネジのように渦巻いていた。細く螺旋状に巻いてねじれていた。その先からわたしの尿が漏れていた。これは、わたしの記憶にある人間の器官ではない。他の生物のものだ。しかしそれが何なのかはわからなかった。

 寒い。とても寒い。わたしは台から降り、ゆっくりと歩をすすめ何か着るものをさがした。垢じみたシーツ、埃まみれのカーテン、そういったものを身体に巻きつけなんとか寒さに耐えられるほどになった。木の扉をあけ屋外に出たわたしは、月の光を避けながら暗い道をあてもなく歩いた。やがて小さな、だが見るからに温かな光りが見えてきた。どうやら、小さな一軒家の窓からもれる光らしい。その家の側にあった小屋に身を潜めわたしは幾日かを過ごした。


  つづく