読書の愉楽

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R・D・ウィングフィールド「フロスト始末(上下)」

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 フロストとの出会いは、ぼくがまだ結婚する前の1994年だった。このシリーズとウィンズロウのニール・ケアリーのシリーズが、いつも追いかけっこする形で刊行されていたような記憶があり、ぼくはこの二つのシリーズが刊行されるのをいつも心待ちにしていた。ニール・ケアリーの方は、だんだん尻すぼみになって2006年刊行の「砂漠で溺れるわけにはいかない」をもって終了。フロストシリーズは、質・量とも当初と同じレベルを維持したまま続いていたが、それも本書でとうとう終わることになってしまった。

 

 永遠に続くなんて思っていないが、やはり終わってしまうとなると寂しいものだ。このシリーズの魅力はなんといっても主人公であるフロスト警部のバイタリティあふれた最強のメンタルにささえられたアグレッシブかつポジティブな直情的行動力と、行き当たりばったりな直感にささえられたまるで根拠のない捜査方法と、逆境をものともしない悪あがきを上塗りした厚顔無恥ともいうべき不敵さにあるとぼくは前回「冬のフロスト」の感想で述べた。まさしくそのとおり。それはこのシリーズに一貫して流れる太い太い一本の線であって、読者はフロスト警部に逢いたいがためにこのシリーズを繙くのである。あっ、少なくともぼくはそうなのであります。

 

 はっきりいって、このシリーズで扱われる事件は、毎回似たりよったりであってそこに新味はない。むしろ変態オンパレードといった感じで、いったいデントン市にはどれだけの変質者がいるのかと思ってしまう。本書にしたって少女強姦はあたりまえだし、シリーズ全冊とおして少年少女が犯罪の餌食となっていて、目もあてらない悲惨な死体となって発見されることも多い。

 

 あ、誤解しないでもらいたいが、けっして貶しているわけではないよ。こんな悲惨で無惨な事件が頻発するにも関わらず、それがわかっているにも関わらずどうしても本書を読んでしまう魅力が満載なのだ、このシリーズは。本シリーズのもう一つの魅力である事件が次々と連鎖して錯綜するモジュラー型の多重プロット進行もともなって、右往左往するフロスト警部一行のああでもないこうでもないという暗中模索の捜査がおおいに読ませるし、逆の意味でサスペンスフルでさえある。

 

 斯様にフロストシリーズは愛すべき警察小説の金字塔なのであります。だから、本書でもうこの長い長い長編を読めないということが残念でなりません。そういえば、まだ「夜明けのフロスト」という短編が未読だった。どこへしまってあったかな?探さなきゃ。

 

 とにかく、これまで楽しませてくれてありがとうございました。本当にこのシリーズに出会えて、本好きだったことをうれしく思いました。ウィングフィールド氏のご冥福をお祈りします。