読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

川上未映子「乳と卵」

イメージ 1

 そこに向かうことのできない小説ってものがある。決して真似のできない独特の雰囲気や間。ひと昔前、清水義範氏が得意としていたパスティーシュなんてものを一切受けつけないような小説。唯一無二ってやつ?そういうのでパッと思いつくのは、まるでウィリアム・ギャディスじゃないかと思った朝吹真理子がそうだし、マシンガンのように打ちだされる言葉の奔流が凄まじい舞城王太郎がそうだった。

 で、今回読んだ川上未映子もそうなのだ。これは、かなり高等な口語文なのでありますよ。それも関西弁でなんや、ようわからん言い回しやなあなんて思いながら読んでると、そらもうなんともいえん気持ちになってくるんやわ。せやけどようよう考えてみると、結構、自分の口語と似とるなあなんて思えてきて、そうなったら、もう、あとは身をまかすだけやねん。

 と、いくら真似しようと思っても、そううまくはいきません。だって唯一無二の存在なんだからね。これは、誰にも真似できない文章なのだ。

 豊胸手術に執着する母と、それを嫌悪する娘。まず、自分の身体の変化を受け入れることができない娘の葛藤があり、それと対比してわざわざ手術によって胸を大きくしようとする母の葛藤が描かれる。どちらの葛藤も女の象徴に根差すものでありそこに妥協が入りこむ余地はない。いったい、どうして胸が膨らんでくるのか?なぜ、毎月、股の間から血がでてくるのか?女性としての当たりまえの生理現象を拒否する娘 緑子は母との確執ゆえ、しゃべることをやめてしまい、筆談で生活を送っている。

 途中に挿入される緑子の書く文章が鮮烈だ。たとえばこんな文。

『胸について書きます。あたしは、なかったものがふえてゆく、ふくらんでゆく、ここにふたつあたしには関係なくふくらんで、なんのためにふくらむん。どこからくるの、(中略)そやのにお母さんはふくらましたいって電話で豊胸手術の話をしてる、病院の人と話してる、ぜんぶききたくてこっそりちかよってってきく、子ども生んでからってゆういつものに、母乳やったで、とか。毎日毎日毎日毎日電話話して毎日あほや、あたしにのませてなくなった母乳んとこに、ちゃうもんを切って入れてもっかいそれをふくらますんか、生むまえにもどすってことなんか、ほんだら生まなんだらよかったやん、お母さんの人生は、あたしを生まなんだらよかったやんか』
 
 自分の身体の変化を嫌悪する緑子。彼女はその事実を受けいれられない上に、母親の豊胸手術というイレギュラーに直面して、それを精一杯消化しようとしている。いっさい言葉を話さず筆談でしかコミニュケーションをとらないというスタイルも緑子の母親への愛情の裏返し好意だ。

 もどかしい思いと、どうにもならない焦燥感。そういったものが流れおちる滝のような口語文で爆竹が爆ぜるかのように息もつかせず語られる。

 もう一編の「あなたたちの恋愛は頓死」も独特の文章で綴られる。求める行為とその過程。心が求めているのか、身体が求めているのか。あいまいな境界を行き来する周遊は、自らまねいた贖罪の血で贖われるのか。

 以上、短い作品ながら二編ともとても刺激的だった。まだまだ表現の可能性は残っているんだね。