読書の愉楽

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重松清「その日のまえに」

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 連作短編集である。七編収録されているうちの一編を除いてすべてがリンクしている。それぞれ身近な人の死に直面する話が描かれている。それは、学校の同級生や、夫や母親や妻の死だったりするのだが、そこで描かれるのは、突然断ち切られる日常と、直面させられる死への理不尽なおもいである。

 

 いうまでもなく死とは永遠の別れであって、究極の悲しみだ。なんでもない毎日がこれまで続いてきたように、これから先もずっと続いていくものだと疑いもせずに過ごしている者にとって、それはあまりにも唐突に眼前にあらわれる。人は死を前にして戸惑う。当たり前だ。死とは未知なるものであって、誰も知らない現象でありながら、誰もが必ず体験するもの。しかし、それはまだ歳若い者にとっては頭の片隅にもおかない遥か彼方にあるはずのものなのだ。

 

 その死がいきなり眼前にあらわれたら、人はその運命を否定しようとする。そしてそれが無理だとわかると戸惑い、現実の恐ろしさに目を瞑ってしまう。

 

 表題になっている「その日のまえに」は続いて「その日」と「その日のあとで」と三つの作品で一つの死を描いてゆく。ガンに犯され余命宣告された妻。夫と二人の息子はその現実を直視せず、しかし心の奥底では「その日」がくるという事実をしっかり受けとめて残り少ない日々を生きてゆく。「その日」とは死が訪れる日。その日を境に妻と家族は永遠に引きはなされてしまう。妻も絶対に回避できない事実を静かに受けいれ無慈悲な境遇を激しく否定しながら「その日」にむかって精一杯生きてゆく。来し方を噛みしめるようにふりかえり、自分のいない行く末の不安を打ち消し、残される者たちに希望をもたせようと努力する。

 

 残される者も、その境遇を反発しながらも受けいれてゆく。理不尽さに憤り、変えること叶わぬ運命を呪うが、それも自分を主体に置いた悲しみだと悟り、未練を残したまま永遠の別れを遂げなければならない妻、母の死を静かに受けいれる準備をする。

 

 「その日」はやってくる。彼女は静かに息を引きとる。神さまよりも人間のほうが、ずっと優しいと思う夫。涙を流してしまう人間の気持ちを、神さまはほんとうにわかってくれているのだろうか。そう思いながら、彼は涙で見えなくなる死する妻を見続ける。

 

 死はそうやって親しい者をも奪ってゆく。残された者はそれを受け入れなければならない。どうしてぼくの妻を、どうして母さんを、そう思いながらもやはり生きている者は日常を過ごしていかなければならない。時間はゆっくりとではあるが、流れてゆく。そして「その日」の悲しみから残された者を遠ざけてゆく。残された者はそうやって生きていかなければいけない。時は悲しみを緩和する。死へと向き合った悲しみさえも緩和してゆく。しかし、それは薄情なことではない。それが生きてゆくということなのだ。

 

 本書を読んでそういうことを思った。いまの気持ちをそのまま書いた。本書の技術的なことには触れない。そんなことはどうでもいい。これがいまのぼくの正直な感想なのだ。