読書の愉楽

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海道龍一朗「真剣 新陰流を創った男、上泉伊勢守信綱」

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  時代物を読まない人にはあまり知名度が高くないのかもしれないが、上泉伊勢守信綱といえば剣聖として塚原卜伝伊東一刀斎とならぶ超有名人であり、なにより柳生新陰流の開祖、柳生石舟斎宗厳の師匠であるという点で剣を扱う人の間では雲の上の存在だったのである。かつてこの人のことを描いた小説では池波正太郎の「剣の天地」がもっとも有名だったかな?ぼくはまだ読んでないけどね。

 

 しかし、もちろんこの剣聖にも師匠となる人はいて、一人は鹿島神道流の松本備前守政信、もう一人が陰流の愛州移香斎久忠なのだが、本書ではこの二人の師匠との出会いから別れまでも描いていて、すこぶる秀逸なビルドゥングスロマンとしても読めてしまうのである。どちらの師匠も強烈な印象を与えてくれるが、特に愛州移香斎の破天荒なキャラとその独創的でそれまでの剣法の常識を覆す陰流の極意を学ぶシーンは本書の前半の大きな読みどころでもある。

 

 そういった信綱の生い立ちもからめながら本書には全編を貫く一本の筋があって、それが奈良 興福寺宝蔵院胤栄との対決なのである。この胤栄は宝蔵院流の開祖であり、池に映った三日月と真槍を重ねあわせて十文字の槍の想を得たという逸話をもつ人なのだが、当時の南都において槍の宝蔵院といえば知らぬ者がいないほどの武名をとどろかせていた。この二人の対決をクライマックスに据え、本書は躍動感あふれる物語を紡いでゆくのである。

 

 著者である海道氏はデビュー作であるこの物語を書き、それが出版されるまでの軌跡を綴った『阿呆舟の途方』という巻末エッセイで、歴史上の人物を描く困難と発見を語っている。その中で海道氏は「歴史を生きるということの重圧が人を強くしたり、弱くしたりしながら固有の生を歩ませるのだという結論に達した。いかなる時代においても、その治世特有の構造があり、それがある種の重圧となって個人にのしかかるがゆえに、その苦悩をはねかえそうとする活力により、人はある時代の鮮やかな結節点となるのだ」と語っている。上泉伊勢守も、激動の時代の中で一城の主としてありながらも、あらゆる苦難を乗りこえて、敢えて廻国修行するという自分の生きる道を見出した。乱世にあって殺人刀という剣術の極意を『活人剣』というまったく逆の発想でとらえなおしたこの剣聖の極めた世界は、あまりにも斬新で常人の概念からかけ離れたものだったが、それゆえにその剣の前には敵がいなかったのである。

 

 新たに極意を創造するという事の桁外れな集中力と膨大な練磨。この人は、神の領域にまで近づいた人だったのかもしれない。