読書の愉楽

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ウィリアム・モール「ハマースミスのうじ虫」

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 簡単に説明すれば、本書の内容はある犯罪者を追いつめる話なのである。発端は、本書の主人公である青年実業家のキャソン・デューカーがクラブで醜態をさらす銀行の重役ヘンリー・ロッキャーに注目したところからはじまる。このキャソンという男、素人のクセして犯罪者の研究がなによりの好物という変わり者なのだが、優れた探偵としての素質もあわせもっていて、そういう人の常として人間観察にかけてはピカ一の腕前をみせるのである。いつもは堅物でとおっているロッキャーがどうしてあんなに痛飲して無理やり酔おうとしているのか?キャソンはロッキャーに近づき、その訳を聞きだすことに成功する。

 

 ロッキャーは、ある男に身におぼえのない架空の事実をでっち上げられて大金を強請られていたのだ。義憤にかられたキャソンは、その言葉巧みに人を罠にかけるバゴットという男を見つけだす決心をする。

 

 手掛かりはたった一つ。キャソンはその手掛かりをもとにバゴットを見つけだし、その実態を暴くべく近づいてゆく。

 

 本書の読みどころは、このキャソンが犯罪者バゴットを追いつめてゆく過程にある。容易に尻尾を出さないバゴットと、決定的な証拠を掴むべく奔走するキャソン。しかし、ぼくはこの猫と鼠のゲームがどうもしっくりこなかった。まず本書に出てくる登場人物のだれ一人として共感できる者がいなかったし、追いつめる側がバゴットのことを今世紀最大の犯罪人のように憎み、絞首台におくることのみをのぞんでいる姿がまったく理解できなかったのだ。ぼくなど、読みすすめていくうちにバゴットに同情する気持ちになっていて自分でも驚いた。確かに、なんの罪もない人たちを私欲のためだけに巧妙な罠にはめて餌食にする姿は卑劣この上ないし、取り返しのつかない罪を犯しもするが、それでもぼくはどちらかというと犯罪者であるバゴットのほうに思い入れがあった。

 

 この選民意識にとらわれた小物然とした中年男は、誰もが想像つくように最後には追いつめられてしまう。しかし先ほども書いたように悪が滅び、正義が勝つこの歴然とした構図はぼくにカタルシスをもたらさなかった。それはひとえに追いつめる側の執拗で冷酷でさえある姿に心底から納得できなかったからなのだ。本書のタイトルはもちろんこのバゴットのことを指している。しかし、うじ虫ってねえ。ぼく的にはもっと悪らしい悪が身についた犯罪者がターゲットだったほうがおおいに溜飲のさがる読後感になったのになあ。ラスト二行の強烈なインパクトも、だからぼくの受けとり方は違っているのだと思う。なぜならば、ぼくはそれを読んですごく胸が痛くなったのだ。