読書の愉楽

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パトリック・ネス著 シヴォーン・ダウド原案 「怪物はささやく」

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 主人公は13歳の少年、コナー・オマリー。彼のもとに夜中、怪物がやってくるところから物語は幕をあける。その怪物は、家の裏手の丘にある教会の墓地にたつ大きなイチイの木だった。その木が巨大な人の形をとり、窓の外に立っている。



 「来たぞ、コナー・オマリー」



 だが、不思議なことにコナーはさほど怖がっていない。なぜなら、この怪物は彼が何度もみる悪夢に出てくるあの怪物とはまるでちがう姿だから。怪物はその後いくどもやってくることになる。そして、コナーに三つの物語を話して聞かせる、という。



 「物語はこの世の何より凶暴な生き物だ。物語は追いかけ、噛みつき、狩りをする」



 三つの物語を語り終えたら、今度はコナーが四つめの物語を語るのだ、という。それは真実の物語。おまえの真実の物語。おまえがひた隠しにしている、おまえがもっともおそれているものだ、と。

 

 ここまでで約50ページ。コナーをとりまくすべての事情が語られる。彼の母親が病に犯されていること、そのことで学校でコナーが孤立していること、母のかわりにコナーの面倒をみるためにおばあちゃんがやってくること、そのおばあちゃんとコナーはあまりに良い関係でないこと。

 

 賢明な読者ならこの時点でコナーの真実の物語が何なのかわかっているはずだ。何がコナーを待ちうけているのか、すでに了解しているはずだ。しかし、そうならないことを祈る気持ちが大きいのも事実。そういう気持ちの揺れを反映するように怪物の語る三つの物語はコナーと同様、読者をも翻弄する。何が正しくて、何が間違っているのか?人間のもつ両面性、相反する気持ちが両立する矛盾。そのことを怪物は物語としてコナーに語ってきかせる。

 

 コナーはわかっている。読者同様コナーも最初から何が待ちうけているのか、すでに知っているのだ。13歳の少年が背負うにはあまりにも重く辛い事実。コナーはそれと直面することをおそれている。当たり前だ。こんな辛い目にあうなんて考えたくもない。だから目を背け必死に毎日を生きようとするのだ。しかし、その抑圧が悪夢としてコナーを苦しめる。自分の気持ちがわかっているからこそ、それを受けいれることができずに苦しんでいる。

 

 
 手を放しちゃいけない。絶対、手を放しちゃいけない。



 しかし、コナーは手を放してしまう。そして、そのことで自分を責めつづける。辛いねコナー、人生は辛いことがたくさんあるんだよ。君が経験する辛さは、そのもっともたるものだけどね。

 

 本書を読了して、その成立過程をおもうとさらに複雑な心境になる。本書には原案者と著者がいて、原案のシヴォーン・ダウドは47歳で癌により逝去している。それを若手の気鋭パトリック・ネスが小説として完成させたのである。ダウドの詳細なプロフィールはわからないが、彼女は母親の側として本書を残された者にたいして書こうとしていたのではないだろうか。残される者も辛く悲しいが、残してゆく者も心が引き裂かれるおもいなのだ。その無念さは、想像がつかないし想像したくもないくらいだ。

 

 人生は辛い。楽しいこと幸せなこともあるが、辛いこともたくさんある。そして、それは大人も子どもも等価にやってくる。しかし、それは必ず乗りこえることができる。そう、信じることができるのが本書だ。そうだろ、コナー?