読書の愉楽

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丸谷才一「樹影譚」

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 たとえば、人は常に考えているものだ。それは些細なことから重要なことまで千差万別だが、大なり小なり頭の中では思考が渦巻いている。それは眠っている間にも夢をみるという形で行われているから、ほんと頭の中というのはちょっとした宇宙なんだなと思う。

 

 そして、人は頭の中で思考を組み立てるという作業を半ば無意識に近い状態で行っている。それは、あるときは連想という形で行われており、思考の連鎖はとどまることを知らないかのようにどんどん積み重ねられてゆく。車を運転している最中、トイレで用を足しているとき、ぼんやりテレビの画面を眺めているとき、食事の最中、風呂につかっているとき、いつでもどこでも人はなんらかの形で考えている。

 

 そういう意識の流れのようなものを小説で形にしようとしたのがジェイムズ・ジョイスマルセル・プルーストヴァージニア・ウルフだった。

 

 ぼくもジョイスの「ユリシーズ」を読んでその一旦に触れたのだが、それはある意味革命的な体験だった。意識の流れを芸術として作品に昇華させることがどれだけ困難なことなのか、それを思い知った。
 日本でその方法を実践したのが丸谷才一だという認識でぼくは本書を読んだ。そういった意味では、この薄っぺらい短編集はとても刺激的だった。

 

 本書には三編収録されているのだが、圧巻はやはり表題作だ。これは無地の壁に映る樹の影に魅せられる作者の話からはじまる奇妙な作品で、エッセイ風にはじまったものが途中で短編にシフトしてゆく変わった構成をとっている。何が上手いといって、この何でもないようなありふれた題材を(壁に映る樹の影なんて凡庸の一歩手前だ)それが特別な事柄のように扱い、またそれを一級品の題材にまで引き上げ、いったいその話の続きにどんな真相が待っているんだという興味をかきたてる展開がまことに秀逸。そこから紡がれる新たな物語は恐怖の陰影さえまとって、スリリングにミステリアスに大胆に進められてゆく。

 

 巻頭の「鈍感な少年」はウブな青年と女性との駆け引きが描かれるのだが、ここでジョイスに学んだ小説のメソッドが用いられ意識の流れのもとで展開される曖昧さのようなものが話を盛り上げる。それは直接的な描写に頼らず、登場人物の会話の中から浮かび上がらせたり、行間ににおわせたり、いわゆる含みの部分でもって読者に認識させるのである。ありふれた話なのにシーンの切りとり方と話のアプローチの仕方でこれほど印象深いものになるのかと驚いてしまう。

 

 もう一編の「夢を買ひます」は、打ってかわってホステスの独白なんて、かなり俗っぽい話なのだが、ここでおもしろいのは作中作として披露されるおとぎ話や夢の話。その他はとりたてて言及するほどのものはないのだが、この作品でも話の裏側に大きな仕掛けが隠されているような不穏な余裕のようなものが感じられた。

 

 いま、同時に初期の長編「笹まくら」という本も読んでいるのだが、こちらはまるまる意識の流れを描いた作品で、この望洋としてつかみどころのない不確かなものを作者はとてもうまく描いていて驚く。

 

 そしてとても刺激をうける。遅れてきた読者として、ぼくはこれから丸谷作品を優先して読んでいこうと思っている。日本の作家で巨大な砂時計のくびれの箇所を作り出そうとしていたのは、この人なんだと認識したから、これは避けて通れない道なのだ。