三人の登場人物がいて、それぞれの辛い人生が描かれる。デザイン会社に勤め、忙しい日々の中で鬱病になってしまう新人社員の田宮由人、その会社の社長で傾いてきた会社の経営を放棄して自殺しようとする中島野乃花、幼くして死んだ姉の代わりに母から執拗な干渉を受け、それに応えようとして自分を壊してゆく女子高生 篠田正子。
彼らはみな一生懸命生きてきた結果、辛い人生に負けて一度は死のうとする。だが、それを一頭の湾内に迷いこんだクジラが繋ぎとめる。
読みどころは、やはり三人の歩んできた人生にある。みんな激しくもがくような人生なのだ。どちらかといえば、辛いことのほうが多い人生。抑圧と分裂。間違った善意。押し付けられる愛情。この部分は読んでいてとても苦しい。胸がふさがれるおもいがする。隔てられた愛情という理不尽な仕打ちを受ける由人や、世間知らずゆえに、いいように弄ばれて追い詰められてゆく野乃花のパートも充分ヘヴィだが、特に正子のパートであるⅢ章「ソーダアイスの夏休み」の閉塞感は圧倒的だった。細菌性髄膜炎で生後七ヶ月で死んだ長女と同じ轍は踏まないと強迫観念にとらわれてしまった母親に監視されて生きる幼い正子。
彼女はそれが普通なのだと思っていたが、長じるにつれ自分の生活が友だちとはまったくかけ離れたものだとわかって苦悩する。みんなと同じように自由でいたいと思う一方、母の愛情に応えようと我慢を重ねる正子。そのピンと張った緊張がある日突然切れてしまう。
そして、そこに迷いクジラがあらわれる。再生へと向かうこのステップは、あられもない涙を誘う。そこにはやはり辛い記憶をバックグラウンドにした素朴な善意とぬくもりがあり、人の意のままにならない自然の驚異があった。それらは相乗効果となって心を浄化へと導いてゆく。すべてがおさまるべきところにおさまったわけではない。これからもたくさん辛いことは起こってゆく。だが、乗り越えた事実は障壁となって荒波から我が身を守ってくれるだろう。そう信じる。いや、そう信じたい。本書を読了してそう思った。読んでよかった。