読書の愉楽

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ジェイムズ・ジョイス「ユリシーズ Ⅲ」

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 よくやったと自分を褒めてやりたい。そう思ってしまうほどに本巻の最初の章には苦戦した。ま、そのことは追々語ることにして、とりあえず本巻に収録されている章は以下のとおり。
 
 
 第二部(続)

 

 14 太陽神の牛

 

 15 キルケ

 

 
 そう、本巻に収録されている章はたった二つなのである。この二章分だけで495ページ。「太陽神の牛」が101ページ。残りの394ページが「キルケ」という割合。そして、いままで読んできて最大級の難所だと感じたのが14章の「太陽神の牛」なのだ。この章はジョイスのパロディ精神が頂点を極めた章であり、原文ではラテン語散文直訳体、古代英語、祝詞、エリザベス朝散文年代記、童謡、ダニエル・デフォーの文体、18世紀エッセイ風、ロレンス・スターンの文体などなどを駆使して、行単位でめまぐるしく文体のパロディが試みられている。それを丸谷才一氏は「古事記」、「源氏物語」、「平家物語」、井原西鶴夏目漱石菊池寛谷崎潤一郎などの文体を模写して訳出しているわけなのだ。これがいったいどれだけの労力をつかう作業なのかは知りたくもないくらいなのだが、いち読者としてただ読んでいるだけの身にとってもこの章を乗り越えるのには多大な忍耐力と精神力が必要だった。なんせ開巻早々の第一行からして『南行保里為佐。南行保里為佐。南行保里為佐。』なのだ。みなさんこれルビなしで読めますか?もちろん、本ではルビがふってあって『なんかうせんホリスさ』と読めるらしいことはわかるのだが、わかったところで意味なんかさっぱりわからない。ということで訳注を見るわけなのだが、それでもなんかわかったようなわからなかったような塩梅なのだ。だが描かれていることは医学生たちが酒飲んでだべって猥談なんかで盛り上がってるだけのことなのだ。ほんとジョイスおそるべしなのである。

 

 で、次の15章「キルケ」はまたガラっと雰囲気が変わって戯曲風に描かれることになる。ここで描かれるのは酒に酔って通りに出たブルームとスティーヴン(ユリシーズの事実上の主人公二人)が猥雑で面妖なダブリンの夜の町で幻覚の世界に囚われてゆく夢幻劇。

 

 打ってかわってこの章はト書きで進められてゆくので、文字数も少なくビュンビュンとページが過ぎてゆくし、内容もよくここまで無茶苦茶するなと感心してしまうほどのはちゃめちゃぶり。死人が甦って緑色の胆汁を口からしたたらせていたり、シェイクスピアエドワード三世が登場したり、絞首刑の死の瞬間に勃起して精子をまき散らしたりと節操がない。哄笑と叫喚に包まれてあれよあれよという間に悪夢的な幻想の世界を引きずりまわされている感じなのだ。ブルームがいかに変態なのかということもよおくわかったし、結構笑えるこの章は長い長いユリシーズの物語の中で唯一のボーナス章だといえるだろう。

 

 さて、というわけで残すところあと一冊となったわけなのだが、ここまでくるともう挫折なんてありえないと思う。意味がわからなくてもなぜか読んでしまうし、ジョイスの遊び精神がほどよい刺激となってきた。年内の読了は無理かもしれないが、必ず四巻の感想も書くのでいましばらくお待ちください。

 

 って、待ってる人はいないか^^。

 

――――――ダブリン、1904年6月16日。ただいま午前12時。