「醤油を一升飲んで死んだ人がいてんて」
「うそや。そんなん、飲もう思っても飲めるもんちゃうって」
「いや、ほんまほんま、いてんて。平安時代らしいけど」
「そうなん?しらんかったぁー」
子どもたちのくだらない会話を聞くともなしに聞いていると、窓の外が光った。雷だ。さっきまで晴天だったのに、急転直下だなと思いながら窓を開けてベランダに出てみると外の光景にド肝を抜かれた。
マンションの四階から見える景色は低く垂れこめた黒い雨雲で二分されていた。異様に低い。なんだか頭のすぐ上に黒雲があるように錯覚してしまうくらいだ。その雲から幾筋もの雷が地上に落ちてゆく。それが見慣れた稲妻じゃなくて、先っぽに矢印のついた真っすぐな雷なのだ。
白く光る矢印が無数に地上に降りそそいでいる。それはこの世の終わりのような光景だった。ぼくは、家族の安全をまず願った。終末が近づいているのだ。ぼくの予感は、そう告げていた。
「みんな、固まれ。輪になってここに座れ」
後ろを振り向き家族に言うがはやいか、ぼくの頭の中に哀愁ただようメロディが流れてきた。
「亡き王女のためのパヴァーヌ」だ。ラヴェルの手になる管弦楽バージョンがぼくの頭の中に鳴り響く。
子たちを振り返ってアイコンタクトをとると、どうやら彼らにも聴こえているらしい。なんだこれは、天使のラッパの変わりか?
もう一度外に目をやると、今度は黒雲がだんだん広がって割れてゆき、間から天使の梯子が幾筋も差してきた。言い知れぬ恐怖が身を包み、総毛だつような思いで頭をめぐらすと東の端の彼方に大きな影が見えた。それはゆっくりと近づいてくるようだった。ぼくはどうすることもできず、ただ見守っていた。
やがて『それ』が近づいてきた。『それ』はものすごく巨大な生き物の隊列だった。先頭をゆくのは眩しそうに目を細めてうつむき加減で歩くゴリラ。ぼくの目の前三キロメートルほど彼方を横切ってゆく。
その後ろに続くのは二十メートルはありそうな巨大な角を揺らすレイヨウ。次は見たことのない生き物なのだが、おそらくあれがリヴァイアサンだろう。蛇のように長い胴体をもち、その全身を青黒く光り輝くウロコが取り巻いている。嘴のような大きな口には鋭い牙が無数に並び、鼻の穴から黒い煙を吐きちらしている。
ぼくは虚脱した。こんな災厄に太刀打ちできるはずがない。しかし、家族の身も案じていた。愛すべき子どもたちを絶対守らなくてはいけないと思った。どうやれば、彼らが助かるのか。ぼくはそればかりを考えていた。