読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

新堂冬樹「悪虐」

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 新堂冬樹の本は以前に「無間地獄」と「溝鼠」の二冊を読んだ。その二冊で新堂冬樹はもういいやと思った。どちらもおもしろくなかったわけではない。過剰な暴力を売り物にしているだけあって、よくそこまで書けるなと思うほど惨たらしい場面が延々と続いたが、ストーリーの振幅がうまくつけられていて続きが気になってどんどん読まされた。
 
 だが、それだけだった。先ゆきが気になるという興味だけで読み切ってしまうだけの話だった。後には何も残らない。いまとなってはどんな物語だったかよく思い出せない。そういう本がダメだという気はまったくないのだが、ぼくは好きじゃない。だから、その二冊っきりで読まなくなってしまった。
 
 で、本書なのである。どうして本書を読む気になったのか?
 
 本書のオビに『未体験の戦慄と哀感。血塗られた超純愛小説』と書かれていたのだ。相反する言葉によって紹介される本書はいったいどういう内容なのか?ただそれだけの興味で読む気になったのだ。
 
 本書の主人公 花崎修次は開巻早々鬼畜の所業を繰り広げる。道端で会った見知らぬ女に道を尋ね、応えようとした女の顔面に頭突きをくらわせる。女の鼻の穴からは鼻尖軟骨の白い突起(軟骨?そんなのが鼻の穴から飛び出すって、いったいどういう状況だ?普通そんなことになったら死ぬんじゃないの?)露出する。あまりの衝撃に白目を向き手足を震わせ倒れる女の顔に修次は小便をかける。次にその場で凍りついていた小学生の男の子を殴り倒し、顎を砕き手の甲を踏み潰し、ライターで顎をあぶる。息つく間もなく繰り広げられる悪魔のごとき所業。
 
 本書は全編これの繰り返しだ。後になるほどその行為は苛烈を極め目を覆う惨劇が繰り広げられる。
 
 そしてその合間に挿入される修次と妻であるサキとの出逢いと甘い日々。しかし、サキはスキルス性のガンに侵され余命三ヶ月の命だということがわかる。修次の鬼畜の所業は、サキの命が尽きてしまうとわかった日から始まったのだ。この時点でぼくはどうして修次がそういう行動をとるようになったのかという理由をひとつ思いつく。しかし、まさかそのとおりのラストにはなるまいと思いながら読んでいった。
 
 だが、期待は裏切られる。まさかと思っていた予想とおりのラストに落ち着いたのだ。そうか、やはりそこに行き着くか。
 
 本書はそういう話だ。オビの文句のとおりでもあるのだろうが、あまり説得力はない。真実味も感動も感傷もない。
 
 本書はそういう話なのだ。