読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

「寛永忍法帖」

 刺髪天膳(さしがみ てんぜん)という最強であり最凶の刺客が来るという情報を得た公儀隠密伊賀組の服部億蔵たち一行は深夜、三舘ヶ原の廃寺に集い対応策を評議した。神楽千二郎(かぐら せんじろう)、濁酒十兵衛(どぶろく じゅうべえ)、蝦夷梵六(えみし ぼんろく)、乙骨(おつぼね)、葦羽(よしは)の先鋭五人は真っ向から迎え撃つ気概を見せたが、首領の億蔵のみが首をたてに振らなかった。
 
 「どうしてですか、お頭!おれたちじゃあ役不足ってことですか!」猪首をゴキゴキ鳴らしながら梵六が詰め寄る。

 「あんな甲賀者、わたしの奥の手にかかったら、ひとたまりもありませぬ」葦羽が憂いを帯びた瞳でキッと見返す。

 「とどのつまり、お頭はわれわれの実力を見限っているってことなんでしょう?」千二郎が必死に訴える。

 「わしが先鋒となって、ひとまずあいまみえましょうぞ。わしの屍を越えてきたならば、その時こそ真剣に評議なされい」十兵衛が、ぬめった唇をさらに湿らせながらべちゃべちゃと言い放つ。

 「十兵衛殿、何を申されます!その役目はわたくしめがとらせて頂きます。お頭、是非、わたしを立ち合わせてください!」乙骨が匂いたつ身体を揺らして億蔵に迫る。

 当の億蔵は腕を組んでじっと目を瞑っている。皆の必死な訴えを聞いても、まったく微動だにしない。

 「お頭!」皆が一斉に叫んだ。声に反応して億蔵の目がカッと見開かれる。

 「おまえたちは、天膳の真の恐ろしさを知らぬ」地の底から響くような陰鬱たる声。

 「わしは、あやつと十年前に一度あいまみえたことがある。丁度、秀忠公がお亡くなりになった頃じゃった。その時は野良犬がわしの身代わりで屍になりおった・・・・・・」

 「犬?どういうことですか、お頭。犬がお頭の身を守ったのですか!」と千二郎。

 「うむ。お魚くわえた野良猫追っかけて、野良のブチ犬がわしたちの間をすり抜けよったのだ。丁度、天膳が忍法禍魂(まがたま)を唱えた、その瞬間にじゃ」

 「なんと!」十兵衛が粘着質な合いの手をいれる。

 「して、その『禍魂』という技はいったいどういう技だったのですか、お頭」葦羽が必死に問う。

 「ブチ犬はいきなりその場で硬直して、おのれの腹を食い破り、長々とハラワタを引きずり出して悶絶死しよった。信じがたい光景よ。恐ろしい技じゃ」

 それを聞いた皆は声をなくした。

 「おそらく『禍魂』は相手を自ら死に追いやる術のようじゃ。それも一番原始的で一番惨たらしい死に様でな」

 およそ忍法というものは、究極の体術と精神的な施術によって成り立っている。忍法『禍魂』は尋常ならざる集中力によって導きだされる催眠効果によって、相手に自ら死を選ばせる術なのであろう。

 「それで、お頭はどうやってそのあと窮地を脱したのでございますか」と乙骨。

 「やはり入魂必殺の秘術中の秘術ゆえ、天膳も一度術をかければその消耗激しく退却せざるを得なんだ。わしはその時点で満身創痍。まさしく野良犬に命を救われたというわけじゃ」億蔵がそこまで話したとき、堂の板戸を叩く者があった。

 「何奴!」一斉に燭台の火が消され、あたりは闇に包まれる。この時点で、居合わせた六人の伊賀者は四散している。香具師の口上のような奇妙な節の歌が流れてきた。

「とーん、とーん、とんからり。腕のある奴ぁ、どこにいる?くらべて並べりや、ほーいほい。頭のある奴ぁ、どこにいる?斬って繋げば、ほーいほい。・・・・・・・・とーん、とーん、とんからり。骨を叩けば肉が泣く。おいらが詠えば、臓腑が朽ちる」


 歌が止むと同時に轟音が廃寺を貫き、天井が破裂したかとおもうと、何かがバシンと床に降りたった。

 「むんっ!」唸る声と共にそれは旋風を巻き起こし、あたりのものがすべて風に舞う。

 「ぎゃっ!」東の隅で断末魔の声が上がる。分断された身体が血潮の中に無惨に転がる。

 「忍法風神楚爾琥(ふうじんそにっく)!」堂の真ん中に悠然と立つ天膳が唱える。

 「葦羽ぁ!」西の隅にいた千二郎が絶叫する。そう、真っ二つになって骸となったのは葦羽だった。『忍法風神楚爾琥』とは、驚異的な体術によって巻き起こされた衝撃波(ソニックブーム)によって対象物をことごとく分断する恐ろしい技だった。

 「おのれぇ、天膳!」われを忘れた千二郎が天膳に駆けよる。「いかん、千二郎!血迷うたか!」億蔵の無念の声がどこからともなく降る。

 「よくも葦羽を!忍法鬼花(おにばな)!」千二郎の懐から鎖が解き放たれる。鎖の先には鉄の仕掛け寸胴が付いており、投げたそばから寸胴の周りが開き、たちまち無数の刃が飛び出し向日葵くらいの大きさになった。鉄の向日葵は、まっすぐ天膳に向かって飛んでゆく。 

 ドスッという鈍い音と共に千二郎の放った鬼花は天膳の胸の真ん中に突き刺さった。最強の刺客、刺髪天膳こんなにも呆気なく仕留められてしまうのか?

 いや、見よ、天膳の邪まな顔を!なんと、彼は常人なら即死している状況で、婉然と微笑んでいるではないか!総毛立つ千二郎。いま彼と天膳は一本の鎖で繋がっている。手応えがあったにも関わらず、倒れない天膳の魔人のような姿に千二郎はただただ硬直して動けなくなっていた。

 「忍法肉膠(にくにかわ)!」微笑んだまま、天膳が高らかに告げる。『肉膠』とは、刀であれ槍であれ、身体に斬り込まれた武器を変質させた自らの肉によって受け止めてしまう荒技である。天膳は、これを会津七本槍の師である怪人 芦名銅伯が操る秘術『なまり胴』の変形技として我がものとしていた。

 「おぬし、あの女とできておったのか?すまぬのぉ、たまたまあやつに当たってしもうたわ」身体から鎖を生やしたまま笑い声をあげる天膳。その悪魔のような姿に伊賀衆は皆凍りついていた。