事件は薄汚れた下町で起こった。ぼくは、その日の朝から体調が悪く鼻の曲がりそうなオナラを30分に一回ぶちかましていた。おそらく前夜に食した韓国料理があまり合わなかったのだろう。豚の脂とニンニクを同時に食べると、いつもこんな調子だ。
そんなことはどうでもいい。ぼくは上司二人と共に黄色い空気の漂う下町に聞き込みに行った。
さて、事件はまるで複雑怪奇な様相を呈し、ここで要約して全貌を明らかにする術をぼくは知らない。
だからこれを読んでいるみなさんは、それぞれ自分の頭の中で過去最大級の複雑怪奇な事件を思い浮かべてもらえれば幸いである。無責任だと思われるかもしれないが、これはそういう話なのである。
蒸し暑い日だった。夏でもないのに、襟元を汗がしたたり落ちてゆく。前を行く二人の先輩たちも激しく汗を滴らせながら左右に眼をやっていた。
やがて、町を二分する場所に比較的大きな橋が見えてきた。川の近くにくると、幾分涼しい風が吹いてきた。気がつくと、ぼくは小学五年生くらいの丸坊主の男の子の手を引いていた。あ、そうだそうだこの子も捜査員なんだ。無意識のうちに手を引いていた。あの橋のたもとで立ちどまって話をしている主婦たちに聞き込みをさせよう。
男の子は二人の上司を追い越し、派手な格好をした四人の主婦に近づいていく。涼しい風の中に生臭い川の臭いと、主婦たちの作為的な甘い化粧の匂いが漂う。今回の複雑怪奇な事件にぴったりの臭いだ。
しかし、男の子は主婦たちからネタを取ることは出来なかった。なぜなら、男の子が近づいた瞬間に主婦の一人が大きな声で
「ウニよーーー!!見て見て見て!あそこ、あそこ!ホラ、ウニでしょ!ウニ、ウニ」と叫んだからだ。
そのチャウチャウ犬に似た主婦の指さす方に眼をやると、川の中にぽつんと取り残された砂州のような場所に、大きな頭のもぎ取られた魚が横たわっていた。腹も大きく裂かれていて、細い針金のような真っ白な肋骨の間に溢れんばかりの黄色い卵のようなものが見えていた。うわ、無惨やな。そう思う暇もないくらい素早く、男の子は腰高の欄干を飛び越え三メートルはある川面にジャンプしていった。着水と同時に男の子は水没。彼の背丈と同じくらいの水深らしく、すぐさま浮かんだ彼は泳げばいいのに、なぜかあっぷあっぷしながら今にも沈みそうな不安定な歩みで無惨な魚の死骸に近づいていった。
見守るぼくたちは皆、固唾を呑んでいた。やがて男の子が魚に辿りつき、その大きな死骸を両手に抱え込んだ。男の子の背丈と比較すると、およそ八十センチはあるかと思われる。頭がない状態でその大きさだから、全長はどれほどなのだろうかと想像する。もう少しで想像が形になりそうだという時に耳元で歓声が起こり、男の子が戻ってきたことを知る。主婦たちは我先に魚に群がって、その黄色い卵のようなものを毟り取り口に入れてゆく。
「おいしい!このウニすごく甘いわよ!」
「ほんと、なんてクリーミーなんでしょ!」
「久しぶりね、こんな立派なウニ」
口々に賞賛の声をあげる主婦たち。手と口の周りをワケのわからない黄色い汁でべとべとにしながら、むさぼり食う姿は、悪鬼のようだ。しかし、これはウニじゃない。おそらく、これは卵だろう。この節操ない主婦たちは、どうしてこれのことをウニだと主張するんだろうか?悩んでいると上司の一人が言った。
「大きい鮎だな、これは。実に見事だ。この有り様をみると、どうやらカラスにやられたみたいだな」
何?これが鮎?まさか、こんな大きな鮎がいるわけないじゃないか。それにカラスにやられたって、こんな惨たらしい死骸にする動物なんて熊ぐらいしか思いつかないぞ。
ぼくは奇異の眼で、まわりの人々を見回した。そうすると、すべてが腑に落ちなくなってきた。黄色い空気の漂う町、小学五年生の捜査員、節操のない主婦、ウニ、鮎、カラス。
おそらく、これらのワードには深遠な意味が隠されているはずなのだ。それを解けば、今回の複雑怪奇な事件を解決に導くことができるはずだ。
そのことに思い至ったぼくは、広大な思索の海へと埋没していった。もちろん推進装置は鼻の曲がりそうな臭いオナラだったことは言うまでもない。