読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

『ご開帳』

 町を貫く目抜き通りをゆくとまず目につくのが大きな球場で、そこでは毎年、軍艦奉行が集って全身の刺青を披露するという全国でもめずらしい催しがあるのだが、今年に限ってそれが花魁のご開帳になったというから、年が変わってからこっち、町の話題はそのことで持ちきりだった。

 正直、ぼくはご開帳が何かよくわからない。でも、それが小学生には隠しておかなくてはいけないことだということはわかっている。なぜなら、そのことが少しでも話題に出そうになると母さんが素早く情報をシャットアウトしてしまうからだ。それに、父さんが自分の会社を倒産させるというシャレにもならない人生の窮地に陥っているにも関わらずいつもニヤニヤしていているのも普通じゃない。毎日ブラブラしているだけでも母さんの逆鱗にふれているのに、そのことに対してまったく危険を感じてないところが不思議だ。それほどに大人の人を変えてしまう『花魁のご開帳』っていったいどんなものなのだろう?学校でも、そのことは常に話題の中心だった。でもやはりそれはアンタッチャブルな領域らしく、大っぴらに話すことはできなかった。だから、ぼくとマニオとブッチャーの仲良し三人組の中では符牒でもってそのことをはなしていた。すなわち、『花魁のご開帳』=『おじさん』である。なぜおじさんにしたのかはよく覚えていない。なんとなく話の流れでそうなったのだ。

 ある日の昼休みにこんなことがあった。

 その日もぼくたち三人は昼休みの時間に集まって、『おじさん』情報を交換していた。前日の夜ふとんに入って携帯ラジオで聴いた情報をブッチャーが教えてくれていたのだ。

 「おじさんってさ、夜に現れるんだって。その日はいつもよりはやく就寝時間が設定されてておじさんはひとりづつみんなの前に出てくるんだって」鼻息荒く説明するブッチャーの目が爛々と光っていた。

 「ということは、おじさんはみんなが寝静まったあとに現れるってワケ?」マニオが冷静に分析する。

 「そうなんだよ、マジで。子どもは一切関わらないように配慮されてるんだって。18歳以上しか会場には入れないって言ってたじょ。なんだか禁断の匂いがしねえ?」ブッチャーの声が一段と大きく響き渡って、それが教室のむこうにいた女子グループの耳にも届いたらしく、クラスのボス的存在であるブヒ子がぼくたちの方を睨みつけながらこう言った。

 「おまえら、18歳とか禁断とか、なんの話してるんだよ?」

 「ヒッ!」ぼくらの中で一番ひ弱なマニオが顔を引き攣らせてのけぞった。

 「なに言ってんだよ!そんな事言ってねえって。お、おれたち、おじさんの話してたんだよな?」ブッチャーがあわてて取り繕う。ぼくもそれに加勢する。

 「今度おじさんがボルネオの探検から帰ってくるんだよ。むこうで助手として働いていた18歳のキンダーって奴を一緒に連れて帰ってくるっていうんで、そのことを話してたんだよ」

 嘘のヴェールでくるんでしまうのは、ぼくの得意技だ。ブヒ子もそれ以上は追求してこなかった。ぼくとマニオはブッチャーに興奮して話すことを厳禁して今後の予防策とした。

 こんなに悶々とした気持ちになるなら、いつものように軍艦奉行の刺青披露のままでよかったのにと思った。隠そうとするから知りたくなるんだ。花魁といえば、この世のものではない美しさを纏った絶世の美女だ。花魁は生まれた時から花魁であって、彼女たちは首の後ろにその印をつけて生まれてくる。それは紫の色をしたアジサイの花の形の痣で、それがついている女の子は花魁になる運命にあるのだ。花魁は生まれたときから十五になるまで、口にするのは乳と蜜のみで固形のものは一切口に入れることはない。だから彼女たちの肌は白く光っていて、常に香の匂いをさせているという。

 そんな花魁の『ご開帳』っていったいどんなものなのか?ぼくはそのことに思いをはせると夜も眠れなくなってしまうのだ。ぼくは毎日目の下に隈をつけたまま学校に通った。マニオも目の下に隈をつけていて、ブッチャーだけは目の下に熊がついていた。

 ご開帳、ご開帳。ウチにかかってきた町内会長の電話を受けた母の「まあまあご丁寧に、会長さん、そんなに気をつかっていただかなくても・・・・」という声を聞いて、血走った目で母さんを睨んだこともあったし、テレビを観ていてジョギングしているおじさんが「いやあ、毎日走るとすべてが快調ですよ」といった言葉に白目をむいて卒倒したこともあったし、『バビル二世』の主題歌の「怪鳥ロプロス空を飛べ~♪」という歌詞を聴いて首が折れそうなほど激しく振り向いてムチ打ちになったこともあった。だが、こんなに懊悩しても、仲良し三人組が情報収集しても『ご開帳』の全貌は明らかにはならなかった。

 そして、ついにその日がきた。

 ぼくたち三人は大人たちの裏をかいて、町の球場に潜り込んだ。中央に組まれたステージの下に潜伏してその時を待ちうけた。

 夜の十二時を過ぎて、花魁たちがしずしずとステージにあがってきた。その数総勢三十二名。彼女たちは一旦下がって、この後一人づつ『ご開帳』していく段取りらしい。ぼくたちは彼女たちの真下で息を殺していた。興奮はマックスだ。わからないなりにも、ぼくたちはそこに淫靡な匂いを嗅ぎとっていた。大人たちはズルイ生き物だ。自分たちだけで愉しもうという魂胆が気にくわない。どうして子どもも愉しんじゃいけないんだ?なぜ大人と子どもの間に境界線が引かれるんだ?ぼくたちはささやかなレジスタンスを試みているんだという自負があった。暢気な大人たちに一杯くらわせてやりたかった。あらゆる興奮がぼくたちを包みこんだ。隠されたものを暴く興奮、反旗をひるがえす興奮、そして女性に対する崇拝にも似た究極の憧れゆえの興奮。興奮の相乗がぼくたちを無の世界に運びこんだ。

 そして、その先には気絶が待っていた。ああ、無念!