今度逢うときは前世でね、と変な挨拶をして彼女は去っていった。西日に向って目をすがめながら手をふっているその姿に違和感をもったが、その時は何がおかしいのかわからなかった。
でも、よくよく考えてみると今日の彼女は確かにおかしかった。食事の最中に熱中して語ったのは織田信長のことだったし(しかも彼女はまったくの歴史オンチなのに)、車に乗るときいちいちお辞儀してたしあやまるときは「かたじけない」なんて言ってたし。
いつもいつも突拍子もないことをしでかすから、またなんか新しいこと始めたんだなと思ってたのだが、これっていつものノリとかじゃなくて正味の変化だったんだろうか?
首をひねりながら家に帰ると、部屋の中に大きな黒い柩が安置してあった。
近寄って蓋をあけようとしたら母さんの大音声が響き渡った。
「あいや、またれーーーーい!!そこな御仁、その柩にはもう一歩たりとも近づいてはならぬ!!!」
総毛立つような驚きに振り返ると、隈取りをして目を寄せた母さんが見得をきっていた。
もう少しで膀胱が緩んでしまうところだったが、なんとか踏みとどまった。驚いて、声もでない。
「その柩は『聖ベアトリーチェの黒棺』といって、近づく者はことごとく真っ黒に炭化して命を落とす、奇跡の柩なのじゃ。命が惜しければ、もうそれ以上絶対近づくでないぞ!!!!」
あわわわわ。おそろしすぎる。今度こそ完全に失禁してしまうと思ったが、ぼくはこの状況をある程度受け入れて、順応しはじめる。
「でも、そんな凄い柩がどうしてここにおいてあるの?」
指さすのもためらわれたので、ちょっと指を出して控えめに柩にむけた。
「おぬし、まだわからぬか!天井を見てみい!ベアトリーチェ様のご尊顔が拝謁できるように鏡が貼り付けてあろう」
驚いて天井を見上げると、なるほど柩の覗き窓の真上に角度をつけて鏡が貼り付けてあり、中の様子が見れるようになっている。
しかしぼくはそこに安置されているベアトリーチェなる人物の顔を見てその場にへたり込んでしまった。
そこにいたのは、ついさっき別れた彼女だった。まことに安易な展開なのだが、まぎれもなくそれは彼女だった。どうして彼女がここに?と考える間もなく、ぼくは柩に駆けよろうとしていた。
最初は何が起こったのかがわからなかった。気がついたら、ぼくは廊下の端に弾きとばされていて、でんぐり返りの途中の格好で転がっていた。
「宝蔵院流槍術の二十五代胤望とは、われのことなりぃぃぃ!」
いつの間にか十文字槍を構えた母親が、つばきを飛ばして絶叫していた。どうやら、ぼくは母さんの槍術で炭化をまぬがれて弾きとばされたらしい。
熱を持った脇腹をおさえながら立ち上がり、やっとのことでぼくは声を出した。
「ど、ど、どうして、そこに彼女が・・・・・?」
ぼくが逢っていた彼女はドッペルゲンガーだったのか?それとも、ここに安置されてる彼女らしき人物は彼女に似た人だということなのか?
ああ、わけがわからない。
そういえば、別れ際の彼女の様子に違和感をもったのが、いま思い出されてきた。
あのときの彼女には影がなかった。ぼくの後ろには暮れていく太陽があった。だから彼女の向こうには影ができてるはずなのに、そこには何もなかったのだ。
母親が動いた。こちらに向って。窓の外が黒く翳った。