幼い男の子がしゃがみこんで一心不乱に地面を見つめている。興味をそそられたぼくは、引き寄せられるようにそこに近づき、男の子が見つめているものが何なのか確かめた。
アリだ。そこそこ大きいアリが縦列で行進している。毎度おなじみの光景だ。ぼくも幼い頃、アリの行進を眺めて時を忘れたことがある。あれは子どもを惹きつける。見ていて飽きないのだ。
懐かしくなったぼくもしばらくアリを眺めることにする。何を運んでいるのだろう?まあ、おそらく昆虫の死骸なのだろう。細かい破片を喰わえたアリが何匹も通り過ぎていく。
ふと、アリの来し方を見やって我が目を疑う。なんだ、あの大きい物体は。アリが運んでいるのは間違いないのだが、それは異様に大きかった。目を眇めてよく見てみると、それは間違いなく人間の親指だった。度肝を抜かれたぼくは、その場に尻餅をつきそうになってまた目を瞠ることになる。
親指の後ろからアリが運んでくるのは、千切れた耳じゃないのか?当然のごとくアリの何十倍もあるのだが、軽々と運んでいるのが信じられない。いや、まてよ。何かの本で読んだことがあるのだが、アリが人間と同じ大きさだったら、グランドピアノをアゴではさんで運ぶことができるということだから、自分の身体の数十倍も大きいものを運ぶのも不思議じゃないのかもしれない。
それにしても異様だ。こんなものを運んでくるということは、あのアリがやってくる先には人間の死体があるってことじゃないか。どうすればいい?とりあえず、この男の子をこの場から遠ざけなければならない。そう思って、ぼくは男の子の肩に手をかけ呼びかけた。
「ねえ、きみ、お母さんはどこ?ひとりなの?もうそろそろお母さんのところに戻ったほうがいいんじゃない?」
だが、そこで重力加速度が極端に大きくなる。ぼくは一瞬で地面に這いつくばってしまう。まるで磁石に引き寄せられる金属みたいな感じだ。全身が地面にへばりついてまったく起き上がることができない。
だが、人間は鍛錬すればなんでも出来るようになるものだ。
ぼくは毎日重力に逆らう努力をし、ひと月かけてその究極のGに打ち克って立ち上がることに成功する。
そうすることによって、人間本来の筋力をはるかに超えた筋力がついたぼくは、もうアリが運んでいた人体の一部のことをすっかり忘れてしまっている。
世はなべて事も無し。
太陽が沈んで、赤い月がのぼった。