読書の愉楽

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沼田まほかる「アミダサマ」

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この人の本は今回初めて読んだのだが、非常に惜しいと感じた。細部を取り出すと、これほどゾクゾクさせてくれる本もないなと思えるほど怖いのだ。だが、いかんせん物語の本筋がなんとも弱かった。だから凄く惜しいのだ。この怖さとストーリーのおもしろさが合致すれば、最高のホラーだと思うのである。

物語の発端はこうだ。不思議な呼びかけによって二人の男が、山奥の廃車置場に導かれる。一人はサラリーマンの工藤悠人、一人は住職の筒井浄鑑(じょうがん)。何かの声に導かれた二人はそこで放置された冷蔵庫の中から衰弱した三歳の少女を見つける。少女は素裸で身に着けているものは男の子の名前が書いてあるズック靴だけだった。身元不明の少女は浄鑑が引き取ることになる。寺には浄鑑の年老いた母がいて、彼女はこの身寄りのない少女を可愛がり育てる。一方、工藤悠人は心で聞いた少女の声が忘れられないでいるが、浄鑑が少女に近づくことを禁じているので悶々とした日々を過ごすことになる。やがて彼は少し頭の足りない女、律子と一緒に暮らすようになるのだが、そこには平穏で幸せな日々はなかった。

と、こんな感じで物語は始まるのだが、まず第一の不満がこの身元不明の少女の扱いである。彼女は不思議な力を持っている。寺で飼っている老猫が死んだときに気の狂ったように悲しむのだが、彼女の力が死んだ猫を甦らせたりする。更に不思議なのが、彼女がやってきたことによって村の中に淫乱と暴力の花が咲いてしまう。そして、ここが一番怖いところなのだが、彼女を可愛がる浄鑑の母、千賀子が徐々に妖怪と化していくのである。何度も書くが、ここらへんの描写は本書の怖さの真骨頂で、ぼくはこの千賀子の変わりようをみて、ダン・シモンズの「殺戮のチェスゲーム」に登場した不気味な婆さんメラニー・フラーを思い出してしまったくらいなのだ(といっても、この「殺戮のチェスゲーム」を読んだ人があまりいないだろうから、この不気味さはあまり伝わらないと思うのだが、とにかくどちらの婆さんも実際に出会ったら卒倒しそうなくらい怖い婆さんなのである)。

と、これだけ細部がおもしろいのに、この少女の不思議な力についても一切の説明はないのである。いったい彼女は何者なのか?彼女はどういう存在なのか?さらにタイトルになっている「阿弥陀」についてもその解釈はあまりにも漠然としている。また、工藤悠人のサイドもとても興味深い展開をするのだが、結局何がどうなったのかは藪の中なのである。ラストに輪廻転生を思わせる描写があり、なるほどそういう結末に落ち着くのかと思うのだが、それにしても全体としての解決には至っていない。これはこういう作風なのだと割り切ってしまえばいいのかもしれないが、ぼくはあまり感心しなかったというわけ。

もし、この感想を読んで興味を持った方がおられたら読んでみて欲しい。いったいどう感じたのかがとても気になるのである。