読書の愉楽

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山田正紀「神君幻法帖」

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この佐伯俊男の魅力溢れる表紙と、山風忍法帖を想起させる魅惑的なタイトルにすっかりヤラれてしまい思わず読んでしまった。著者が山田正紀というのが少し不安要素だったのだが、圧倒的な懐かしさと興奮には抗しきれなかったのだ。

だが読んでみればわかるが、その読後感はちょっと微妙なのだ。それは本書が「甲賀忍法帖」を下敷きにして書かれているということにも起因する。「甲賀忍法帖」といえば、山風忍法帖の記念すべき第一弾であり、これをもって忍法帖ベストだと推す作家も多々あるほど人気の高い作品なのだが、いかんせんぼくはあまりこの作品を評価しない。徳川家康の命により三代将軍の座を決するために伊賀と甲賀から十人づつ選出し、戦わせるというトーナメント形式の基本形を確立した作品であり、敵味方同士で愛し合うロミオとジュリエットの構図を盛り込んでさらに話を盛り上げるシンプルなストーリーは、おもしろくないわけではないのだが、どうも簡単すぎてあまりお腹一杯にならないのだ。だからこのトーナメント形式で描かれる「くノ一忍法帖」や「忍者月影抄」はあまり評価しないのである。例外として15人対15人対15人という45人もの忍者が登場する「外道忍法帖」のみは大好きなのだが^^。

とまれ、本書はその「甲賀忍法帖」をベースにして描かれている。だが、ここに登場するのは忍者ではなく幻法者。どう違うのかと言われれば、名称のみが違うだけだと言いたいところだが、これはこれでもっともらしい注釈が添えられているから、おもしろい。同様に彼らの使う幻法についても、現代科学を引っ張りだしてきて様々な解釈をつけているから、なかなか手が込んでいる。

そんな彼らが七人対七人で対決させられるのだが、これも忍法帖ニヒリズム溢れる無常の理をそのまま踏襲して描かれている。なぜ、彼らは闘わねばならないのか?対決によって、何が決するのか?その命題は物語半ばまで伏せられている。様々な憶測が飛び、訳のわからぬまま殺し合う幻法者たち。そして、敵対同士なのに激しく愛し合うそれぞれの頭領たち。彼らも「甲賀忍法帖」のように、ラストで愛し合いながらも闘い合わねばならないのだろうか?それとも、もっと意外な結末が用意されているのか?

無情であり無常な世界は忍法帖そのままなのだが、やはりどうしても本家本元の足元にも及ばないと思った。おもしろくないわけではないのだが、あの山風の神技の域にはどうしても到達できないのだ。

次は「くノ一忍法帖」を下敷きにしてまた幻法帖を書くらしいが、今回こういう目に合っていても、また読んでしまうんだろうなぁ。