読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

「連続殺人鬼の世界」

 容疑者の住いは、狭い裏通りに面した二階建ての細長い家だった。呼び鈴を鳴らしても返事があるわけでなく、家の中は静まりかえっていた。ぼくは殊更強くドアを叩いて、声を張り上げた。

「北村!いるのか!警察だ!いるのなら、ドアを開けて出てこい!」

 だが、答える声があるわけでなくぼくの声の残響があるばかり。仕方なくドアノブをひねると、抵抗なくドアが開いた。一瞬迷ったが勇を鼓してぼくは家の中に入っていった。

 薄暗い家の中を見通すと廊下がまっすぐ奥までのびており、すぐ脇に二階に上がる階段がみえる。とりあえずぼくは声をかけながら廊下をまっすぐ奥に進んだ。これじゃまるで「羊たちの沈黙」のクラリスとおなじシチュエーションだなと思う。

 なぜなら、この家に住んでる容疑者の北村は11人もの女性を殺し、尚且つその肉を食べていたという前代未聞の究極サイコ野郎だからだ。発見された遺体は頭髪と骨のみで、骨は一度煮込まれた形跡があった。ある女性などは自分の部屋で殺されたのだが、現場には天井にまで飛んだ大量の血しぶきと齧りかけの肝臓が落ちていただけだった。そんな危険な野郎の家に単身で乗り込んでいるという不自然さは、ぼくの念頭にはなかった。なにしろぼくの頭の中では、ぼくはあのクラリスと同化してしまっていたのだから。廊下に面した部屋の扉を開けてみても誰もいない。突き当たりにあるダイニング・キッチンはすさまじい荒れ様で、食べ残しのこびりつた皿や、カップめんの空き容器、大量のゴミに溢れかえっていた。流しの中には白ちゃけた切断面を見せた指が一本転がっていた。しかし、ここにも誰もいない。ぼくは引き返し二階に上がる階段をゆっくりのぼっていった。

 二階には部屋が三つあった。一番手前の部屋を開けると、壁一面に写真が貼り付けてある。近づいてよく見ると、首から下を写してある写真ばかりだ。すべて頭の部分がフレームの外に出るような構図で撮られている。写っているのは、男もいれば女もいるし、子どももいれば大人もいる。しかし、みな首から下しか写ってないので、どこか無機物めいた死体のような不気味さを醸し出している。ぼくは急いで部屋を出た。次の部屋に入ってみる。

 そこは絵の世界だった。変な感じだ。絵の具の色彩の中にいるのだ。そこはありふれた調度品のある部屋の中を描いた絵の中だった。誰もいないのを確認したぼくは最後の部屋に向かう。

 そこは、いままでと違って鍵がかかっていた。押しても引いても開かないし、ノブが回らない。焦れたぼくはドアを叩いて声を張り上げた。

「柿沼!いるのか!警察だ!そこにいるのなら、おとなしく出てこい!」

 容疑者の名前が変わっていることは気にしない。この世界ではそれが当たり前なのだ。ドアノブをガチャガチャいわせてドアを叩いていたら、やがて世界は暗転した。ぼくは浴衣を着て、大きな川沿いの土手を歩いている。はるかかなたの空がにわかにかき曇り、濃い灰色の雨雲の中で雷がピカピカ光っている。前を歩いている坊主頭の大男が連続殺人鬼だということはわかっているが、それは気にしない。なぜならば、ぼくは刑事ではないからだ。