読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

篠田節子「弥勒」

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 まずタイトルが良い。弥勒菩薩とは『兜率天の内院に住み、釈迦入滅から56億7000万年後の未来の世に仏となってこの世にくだり、衆生を救済するという菩薩』だそうで、これをタイトルにもってきたところにこの本の凄さがある。そう、本書のメインテーマは『救い』なのだ。

 物語は新聞社の事業部員である永岡英彰が、展覧会のオープニングパーティで妻の髪飾りを見て違和感を覚えるところから始まる。それはどう見てもパスキムの仏像の破片を使ったものだったのだ。

 インドとネパールに挟まれたヒマラヤの小国パスキム。精巧な細工をほどこされた鋳造仏は、立地上ヒンドゥーチベット密教が密接にからまりあい美麗を極めた「パスキム様式」として独自の発展を遂げてきた。だがそれらの美術品は国外に持ち出されることはない。貸出も含めて政策によってそれは禁じられているのだ。それがいま妻の髪飾りとなっている。いったいパスキムで何が起こったのか?

 様々な伝手を使って調べたところによると、民主化を訴える革命軍によって国王は蟄居させられ寺院は破壊、外国人は強制退去、首都カターは無法地帯と化しているらしい。

 かつて訪れたこともあるパスキムの文化美術に思い入れある永岡は、現状を把握するため単身密入国を試みるのだが、そこで彼が目にしたのはこの世に現出した地獄だったのである。

 まさしく、これぞ生き地獄。ぼくはこれほど人間の尊厳が奪われる話を読んだことがない。革命軍の首謀者であるかつての国王秘書ラクパ・ゲルツィンが目指すものは、パスキム国民のみで運営されるシャングリラ。他国の介入なしで自給自足の生活をし、宗教の信仰に根ざす曖昧な思想を否定し、自分たちの力だけで生を謳歌するという非常にストイックなものだったのだ。

 それが意味するものは何か?まず、宗教を象徴する寺社や壮麗な仏美術を徹底的に排除し、僧侶、尼僧をすべて虐殺。人々はキャンプという名の収容所に集められ、日夜過酷な労働に従事させられる。食事といえば、麦の粉を練ったものと薄い豆のスープ。人々は極限の状況下で疲弊し、病に倒れバタバタと死んでゆく。雨期に伴って開墾した土地が土砂崩れを起こし、マラリヤ赤痢が蔓延。毎日のように死者が葬られてゆく。

 またゲルツィンは、外国の文化に汚染されていない無垢な存在という理由で年端もいかない子供たちを隔離し、自らの信念にのっとって洗脳してゆく。子飼いの犬となった子供たちは、兵として大人たちを監視し、規則を破ったものを次々と処刑してゆく。

 重労働、食糧難、病苦、それに加えていつも誰かに見張られている不自由な生活。こんな状況の中で、人がまともに生活できるわけはなく、人々は無感動、無反応なロボットのような存在に変わっていってしまうのである。

 ただ一人、日本人として囚われの身となった永岡は、そんな過酷な状況の中でかつて美と神秘の国であったパスキムの真の姿を目の当たりにすることになる。いったい何が正しくて、何が間違っているのか?いままで信じていた価値観が大きく揺さぶられる極限の状況に永岡の精神も少しづつ変化してゆく。

 人の死が日常化した生活。ゲルツィンの掲げるパスキム全国民の完全平等化。心の拠り所として神や仏を信じることは間違いなのか?

 もちろんここに登場するパスキムは作者の創造した架空の国だ。しかし、その世界観のなんと豊穣なことだろう。まるで、実在してるかのような臨場感だ。そこに加わる作者の容赦のない筆。文庫本にして650ページ。篠田節子の長編小説は初めて読んだのだが、凄い本を読んでしまった。救いを求めて、地獄を現出させてしまう人間の愚かさを描いた本書は、あまりにも重く一生忘れることの出来ない本になってしまった。凄いな篠田節子