読書の愉楽

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スカーレット・トマス「Y氏の終わり」

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「本が好き!」の献本第14弾。

 

 なんとも形容に困る小説だ。出版社の紹介によれば『ミステリの興奮、SFの思索、ファンタジイの想像力――イギリスの新鋭作家によるジャンルを越えた話題作』ということなのだが、これは当たっているともいえるし的外れだともいえる。まさしく本書はジャンルを特定できない本だ。基本的には謎の探求の物語なのだが、読み進めていくうちに哲学的な思索に彩られた幻想世界が表出してくることになる。

 

 本書の要になるのは「Y氏の終わり」という一冊の本だ。この世に一冊しか存在しないといわれる呪われた本。この本に関わった者はみな死んでしまうという。主人公である大学院生のアリエルは、どういう巡りあわせかイギリスの古書店でその本を偶然見つけてしまう。本を読んだアリエルは、その中に書かれていたある行為を実際に試してみることにするのだが、それがこの世の理をひっくり返すことになるような奇妙な冒険への入り口だったのである。

 

 この中に登場する別世界『トロポスフィア』のアイディアが秀逸だ。雰囲気(アトモスフィア)という空(アトモ)と球体(スフィア)からなるギリシャ語由来の合成単語から空(アトモ)を抜きさり、より実体的な特性(トロポス)に入れ替えた造語なのだが、ここでは時間が距離と等価であり、思考が物質となる。なんのことかわからないと思うが、そういう世界なのだ。そしてこの世界を通して、進入した者は他者の頭の中に入ることができるのである。う~ん、自分でも何いってるのかわからなくなってきたぞ。

 

 主人公アリエルはこのトロポスフィアを通して様々な体験をする。あるときは男になったり、あるときは罠にかかったねずみになったり、あるときはねずみを狙う猫になったり。まさにエキサイティングな冒険の数々。そして驚くことなかれ、この思考によるジャンピングによって時間をも遡行できるようになっていくのである。

 

 しかし、やがてそんな彼女を追う者があらわれてくる。向こうもトロポスフィアのことを知っているらしい。ということは、相手も自分の頭の中を覗き込めるということなのだ。これがどういうことか考えてみて欲しい。いくらうまく逃げおおせても、相手にはこちらの居場所が筒抜けなのだ。
 さて、アリエルの運命や如何に?

 

 とても長い物語だが、案外するすると読めてしまう。思考実験や相対性理論が絡んだ文系にはいささか難解な部分もあるのだが、全体的におもしろい読み物となっている。主人公のアリエルがただのインテリ女じゃないってところも気に入ったしね。
 とにかくジャンルを特定するのに困ってしまう小説ってのが、おもしろいではないか。ラストも意味深な感じで、神の領域の話にまで広がってしまうし。いわば、ミステリ、SF、ファンタジー、哲学、宗教などなどのあらゆる要素を詰め込んだ、ジャンルミックス小説とでもよべばいいのだろうか。

 

 こういうタイプの小説はいままで読んだことがなかった。なかなかおもしろい体験だったなぁ。



[ Y氏の終わり]
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スカーレット・トマス、牧野千穂、田中一江
早川書房
2100円
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書評 / ミステリ・サスペンス
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