読書の愉楽

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南條範夫「戦国残酷物語」

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南條残酷物を初めて読んだ。噂に違わずなかなかのものだった。

本書に収録されているのは

 ◇ 「復讐鬼」

 ◆ 「ハナノキ秘史」

 ◇ 「裁きの石牢」

 ◆ 「草履の墓碑」

 ◇ 「第三の陰武者」

 ◆ 「雷神谷の鬼丸」

 の六篇である。この内「裁きの石牢」と「雷神谷の鬼丸」の二篇のみ土佐を舞台にしているが、あとの四篇はみな飛騨が舞台となっている。飛騨という国は戦国の世にあって、峻険な山々に囲まれた陸の離れ島の様相を呈していた。ゆえに、武田、上杉、織田といった戦国時代屈指の武将たちも手を出すことなく、豊臣の世となるまでこの地に進入してくる者は誰もいなかった。だが、この狭小な国の中では独自に小城主たちによって無数の戦闘が行われていたのである。本書に収録されている飛騨物の四篇はその頃に起こったあまりにも残酷な物語を綴っている。

 こういった戦国の群雄割拠の時代において、武士の本懐なんていうきれい事はまったく通用しない。武士道というストイックで義を重んじる風潮は無きにしも非ずだが、さっぱり鳴りを潜めている。

 ここで描かれるのは人間の剥き出しの感情だ。世が求めた風潮なのだろうか、この時代の人間はことさら業の深いものばかりだ。業すなわち因縁である。人間は、ここまで残酷になれるものなのだろうか?

 例えば「復讐鬼」をみよ。急襲により父及び一族郎党を惨殺された子が十年がかりでようやく追いつめた怨敵である男にした復讐は、片目を焼き、両手の指をことごとく叩き潰し、鼻と耳を削ぎ落とし、片足の脛を打ち砕くという凄惨なものだった。だが、ここで終わったわけではなく、この男をいまは我が物となった城に連れてかえり、堅牢な石垣を作っては壊すという使役を延々と繰り返させるのである。これが実際にあった話だというから恐ろしい。また因果は巡るということを痛切に感じさせるラストも恐ろしい。

 以下どの話をもってしても、戦国の世に起こったあまりにも残酷な物語が眼前に広がる。特に印象に残ったのはラストの「雷神谷の鬼丸」だ。ここに登場する蛇野小城丸(はめがの おぎまる)という男の残虐ぶりは群を抜いている。まるでカリギュラとブラド・ツェペシュとヒットラーレクター博士を総動員したようなモンスターぶりなのだ。その残虐非道ぶりは、ここに列挙するのもおぞましい。もし興味がおありの方は、本書を探し出してご確認いただきたい。

 う~ん、やはり戦国の世は凄まじい。人間はいかに残酷になれるものなのか?という問いの答えがすべて本書につまっている。いやあ、現代に生を受けてよかったなぁとつくづく思った次第である。