翻訳物好きにはたまらない海外文学の秀作を精力的に紹介してくれている新潮のクレスト・ブックスの第一弾が本書とE・F・ハンセン「旅の終わりの音楽」だった。 のちに続く魅力ある作品群の先陣をきって刊行された本書は、しかし扱っているテーマのアンモラルさゆえかそれほど話題にならなかったように記憶している。
かくいうぼくも、本書のテーマが近親相姦だと知って手にとらなかった一人だ。これは以前から感じてたことなのだが、どうもアメリカの小説にはこの近親相姦とDVと幼児虐待が頻繁に出てくる。まるで、アメリカの悲劇はそこに集約されるといわんばかりの大盤振る舞いなのだ。
だから、あまり読む気がおきなかった。しかし、しかしである。前からこのブログでも再三書いてきたことだが、そういう本に限って後々どうしても読まなくてはならない焦燥感にかられて手にとってしまうことがある。本書もそうだった。クレストだし、もう文庫になってるし、薄い本だし、これはやはり読んでおかなくてはいけないと強迫観念にも似た衝動におされるようにして本書を読んだ。
一読して驚いた。この緊張感はなんだ?作者であるキャスリン・ハリソンの内省的なモノローグは、読み進むうちにひしひしと心に食い込んでくる。決して読みやすいとはいえないその濃密な世界は、しかし一旦取り込まれてしまうとグイグイ引っ張っていく力強さを兼ね備えていた。
そう、本書は作者の実体験を元に書かれている。父と娘が交わってしまうというショッキングな出来事を真摯に語り、薄っぺらい本なのにとても重い残滓を読む者の心に残していく。
両親が離婚し、母方の実家で育った女の子は美人で奔放な母の愛を充分に得られぬまま二十歳の美しい娘に成長する。十年の時を経て再会することになった父は、この娘に熱狂的な愛を捧げる。親の愛に飢えた娘も、父の存在に心を奪われてしまう。お互い惹かれあう父と娘。牧師でもある父は、やがて娘に対し抑えきれない愛情の奔流を止められないまま、越えてはならない一線を踏み越えてしまう。
本書が只のセンセーショナルな本に堕っしてないのは、これが魂から溢れ出る血潮によって書かれているからである。彼女と父の激しくぶつかりあう逢瀬と交互にはさまれていく彼女の生い立ち。これらはみな現在形で語られる。そうすることによって読者はそれらの出来事をまるで追体験するかのように感じながら、読み進めていくことになる。読み進めるにつれてどんどん心に溜まっていく澱。彼女の心の痛さがストレートに伝わってくる。彼女の内面の苦悩が恐ろしいくらい実感できて息苦しいくらいだ。
こんな薄い本なのに、なんて重たいんだ。身勝手すぎる父親の威圧的な愛情表現に歯がゆい思いをし、鏡の前で自分の存在を何度も確認する彼女の痛々しい姿に憤りを感じる。
久しぶりに激しく感情を揺さぶられた。こんなに静かな語り口なのになんて猛々しいんだ。まるで、表面は穏やかに流れているように見えるのに、水面下では激しい流れが渦巻いている大河のようではないか。
まさかこんな読後感になるとは思ってもみなかった。やはり読んでみないとわからないものなんだなぁ。