ベスターの「虎よ、虎よ!」は、まったく期待外れの結果に終わってしまったのだが、晩年に書かれた本書は結構楽しめた。
SF的アイディアとか、過去のSF作品の換骨奪胎とか、ベスター流のSF批評だとかいう小賢しい要素は別にして、この乱痴気騒ぎともいえるなんでもありの作風が大いに気に入った。
本書をパラパラめくってみると、まず目を惹くのがかなりの量の絵である。これは現物を手にとって見ていただくしかないが、500ページほどある本書の100ページあまりをこの絵が占めている。
これは、本書の主人公たちが特殊ドラッグによってトリップした集合的無意識界(ファズマ界)を表現した絵なのだが、一見なんの脈絡もないこれらの絵がすべて意味を兼ね備えているところがおもしろい。
こういう仕掛けは大歓迎だ。ミステリアスであり、尚且つ下品なところがかなり高ポイントだ。
そう、本書はかなりお下品な作品なのだ。かつて高踏でありながら通俗で悪趣味な作風を確立し、ワイドスクリーン・バロックなんて銘々されたあの「虎よ、虎よ!」をさらに上回る悪趣味と数々の仕掛けを詰め込んだのが、本書「ゴーレム100」なのである。
本書の内容は至極簡単。残虐な殺人を繰り返すゴーレム100をめぐっての狂乱を描いている。まさしくそれは「不思議の国のアリス」に登場するキ印のお茶会そのもの。言語遊戯や造語があふれ、物語の行き着く先がまったく見えない。ベスターの描く未来社会は汚泥にまみれた犯罪社会で、いってみればなんでもありの世界なのだ。しかし、そんな中にあって本書はまたしっかりミステリとしても機能している。先にも書いた数多くの絵の解釈もそうだし、乱痴気騒ぎに紛れて見過ごしてしまいそうな些細な記述があとで重要な意味をもってくるなんていう仕掛けは随所にほどこされてるし、ゴーレム100の正体にしてもラストではあっ!と思ってしまった。
まったくもって 不敵な作品だ。自由奔放で、猥雑で悪趣味。でも、しっかりと物語が定着していて飽きさせない。実験精神にあふれているくせに小難しくなく、おおいに楽しめる。
う~ん、ベスター、やっぱりすごい人だったんだなぁ。