読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

フィッツ=ジェイムズ・オブライエン「失われた部屋」

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 ポーとビアスを架橋する作家なんていわれている。この人が活躍した当時はまさしく時代の寵児となり、文名を馳せたそうだが、今ではあちらでもこちらでも、もう忘れさられた作家である。

 しかし本書に収録されている十作品を読んでみると、これが案外イケてたりする。

 なるほどSF的、幻想的、怪奇的な作品ばかりで中にはダンセイニの幻想譚を彷彿とさせる中国綺譚などもあった。そんな中でも特に気に入ったのは、奇妙なホテルでの冒険を描いた大人版「不思議の国のアリス」といった趣の「手から口へ」。

 顕微鏡にとり憑かれ、身を滅ぼしてまで究極の顕微鏡を追い求め、やがて水滴の中に誰も見たことのなかった世界をのぞき見る男を描いた「ダイヤモンドのレンズ」。

 メルヘンチックで残酷な世界に自動人形を登場させた画期的作品「ワンダースミス」などなどである。

 あと「世界を見る」に登場する『何でも見、何でも知り、何でも理解する』という夢のような条件が引き起こす悲劇がチェスタトンばりの逆説でおもしろかった。

 実際これらの作品を読了して『ポーやビアスを架橋する作家』なんてご大層なキャッチコピーを鵜呑みにするほど楽しんだわけでもないが、そこそこ楽しめたのも事実である。

 しかし、この世界は広い。まだまだこういう知らない作家がいるんだろうなと思うと、もどかしくてどうにもならない事実に悔しくなってくる。かといって現況で既知の作家たちをすべて網羅できてるかというと決してそんなことはない。国内だけに範囲を絞ってもまだまだ未読の作家は100人は下らないはずだ。

 なんにせよ因果なものである。のめり込めばのめり込むほど自分の力の限界を思い知ることになる。

 本来、読書とはもっと気楽に楽しむべきものなのだが、知りたいという欲求が募るほどに泥濘に足をとられて自らをがんじがらめにしてしまう。ここらへんで、あの読書の歓びを知った当時の初心にかえらなくてはいけないのかもしれない。そう頭では理解していても、欲求は一向に引く気配はない。

 ほんと因果なものだなぁ。