読書の愉楽

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小野不由美「屍 鬼」

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 小野不由美といえばホラーである。ぼくは全然読めてないのだが、ジュブナイルで出ていた『悪霊シリーズ』などは、その当時から怖いと定評があったし、本書の前に書かれた「東亰異聞」も結末はイマイチだったが、なかなか雰囲気のある読み応えのある作品だった。

 

 そして満を持して刊行されたのが本書「屍鬼」だったのである。当時、本屋でこの本の単行本を見つけた時は身震いが出た。なんとも不気味な藤田新策の表紙にまずノックアウトされ、上下二段組で一冊500ページ以上あるその分厚さにクラクラきてしまったものだった。読む前から傑作なんだと確信した。すぐさまレジに走って、貪るように読んだのはいうまでもない。ここで描かれるのは一つの村の瓦解だ。死者が蘇るという忌まわしい出来事を経由して一つの村が完全に崩壊してしまうのである。その重みは圧倒的なリアリティでもって、質感をともなう事実として読者に迫ってくる。本書はキングの「呪われた町」に対する小野流のオマージュとして書かれている。キングがかの作品で示したように本書も凄まじいまでの書き込みでディティールを浮き彫りにし、まるで作者の描く村が実際にそこにあるかのような錯覚をおぼえるほどだ。そのこだわり方はある意味偏執的なほどで、事実少し辟易する部分もあるのだが、これがラストに至って読み手の中に一つの村を完全に再現することになる。そうした上でその村を崩壊させてしまうのだから、余韻が残らないわけがない。大いなるカタストロフィなのだ。

 

 そしてこれだけは言及しておきたいのだが、本書はホラーではあるが単純ではない。恐怖だけではないのだ。ここには屍鬼となった者の苦悩や存在意義が問われる部分が多々描かれている。時にそれは、読む者の意識をフリーズさせ立ち止まらせてしまう。忌まわしい者であるはずの屍鬼たちの悲哀が描かれるのだ。
 ラストの狩りの場面などは、なんとも複雑な心境で読みすすんだ。ぼくはこれほど痛みを伴った、また狩られる者の恐怖を描いたシーンを知らない。かの魔女狩りの恐怖とは、こういうものだったに違いない。このシーンの衝撃は小学校の時「デビルマン」のラストを読んだとき以来の衝撃だった。いつまでも心に残り続けるシーンだ。ここでぼくは人間の高慢さ、猜疑心、存在のちっぽけさというものを痛感した。
 極論だが、われわれは存在自体が罪なのかもしれないと思ってしまったほどだ。
 とまれ、本書は傑作だ。小野不由美の最大長編であり、最高傑作だ。ゆめゆめ本書を読みのがすなかれ。
 そして心して読まれよ。これはそういう作品なのである。