コニー・ウィリス、コニー・ウィリス、コニー・ウィリス!本書を読んで確信した。ぼくは彼女が大好きだ。気づくのがなんて遅かったのだろう。こんなに素敵なSFは久しぶりに読んだ。こんな素晴らしい小説は久しぶりに読んだ。彼女の本は「犬は勘定に入れません」しか読んだことがなかった。そう代表作でもある「ドゥームズデイ・ブック」も「航路」もまだ読んだことがなかった。十五年前に刊行された彼女の第一短編集「わが愛しき娘たちよ」も購入だけして読んでなかった。ああ、なんてもったいないことをしてきたんだろう。これからは、彼女の作品を精力的に読むぞ。と、胸に誓ったくらい本書は素晴らしかった。今日はいつになく興奮しているぞ。もう年末の予告をしておこう。本書は年末ベストの上位5位以内に入るだろう。
本書には4編の作品がおさめられている。短編と呼べるのは巻頭の「女王様でも」くらいで、残りの3編は中編、うち1編は短めの長編くらいの長さがある。とりあえず、ささっと紹介してみよう。
「女王様でも」は、ほとんどタブー視されていた問題を描いた初のSF作品ではないだろうか。セックスやジェンダー問題、同性愛などはホセファーマーやスタージョンも描いてきた。だが、女性の月のものを正面切って描いた作品はこの作品が最初ではないかと思うのだ。ここで描かれるのは女性がアレから解放された世界である。ウィリスは、そんな世界を舞台に、再び月に一度の憂鬱を経験しようとする娘を中心にそれを阻止しようとする家族の姿を描き逆説的に生理に対する鬱憤をぶちまけている。軽いがスラプスティック調でなかなか楽しめる作品だ。
次の「タイムアウト」はウィリスお得意のタイムトラベル物。といってもここで描かれるのは普通のタイムトラベルではない。ここにタイムマシンなるものは登場しない。作中で説明される時間転移プロジェクトの概要は、はっきりいってピンとこない。時間を量子的にとらえ、現在子(ホーデイエクロン)というピースに分割できるなんて説明されてもいったいそれはどういうことなんだと思ってしまう^^。しかし、それはたいして重要なことではない。なぜなら本作品で描かれる旨みはそこにないからだ。この作品の面白みは登場人物の一人である主婦キャロリンの日常と彼女が経験するアバンチュールにある。それがまったくもって読ませる。なんとも楽しい作品だ。
「スパイス・ポグロム」は、ウィリスが偏愛する往年のスクリューボール・コメディ映画を念頭において描いたドタバタ恋愛コメディである。本書の中では一番長い作品で140ページもある。しかし、その長さが気にならないおもしろさだった。舞台は日本製のスペース・コロニー〈ソニー〉。ただでさえ人口過密なのに、そこにエイリアンと観光客が押しよせたから空前絶後の大混雑になっている。主人公クリスが住んでるのは日本人の渚氏が所有する純日本風のアパート。過密になり住む場所がないから、アパートの中は階段や踊り場にまで人が住んでる始末。いつもソリティアをしてる老人や、コロニーのどこかにいるスピルバーグの映画に出してもらおうとしている小悪魔少女のモリーとベッツ。《ルイジのてんぷらピザすとりっぷ店》で働くヌードダンサーのチャーメイン。クリスの婚約者でNASAに勤めるスチュアートと彼に押し付けられた形で同居している買い物マニアエイリアンのオーキフェノーキ。
そして、そのエイリアンがどこかでひろってきた長身の若者ハッチンズ。ざっと並べただけでもこれだけの人物たちが有機的に絡み合いドタバタの恋愛劇を繰り広げるのである。いやあ、ほんと楽しかったな。
ラストの「最後のウィネベーゴ」は、一転してシリアスなドラマが展開する。《新型パルポ》というウィルスで全世界の犬が絶滅した世界。タイトルのウィネベーゴとは大型キャンピングカーのことである。このアメリカで最後の一台となってしまったキャンピングカーと、犬の絶滅した世界がどう集約されるのか?う~ん、これにはまいった。あれだけ狂騒的なバカ騒ぎのあとにこの作品を配してあるから、よりいっそう胸に迫るものがある。主人公ディヴィッドが見つけるジャッカルの轢死体。それと同時に思い出される過去の辛い体験。
フラッシュバックのように挿入されるその体験が現在へと引き継がれ、滅びる悲哀と赦しが描きつくされる。読み終わって深い余韻の残る傑作である。
以上4編すべて満足のいく作品だった。まさしくコニー・ウィリスは小説の巧者だ。これからは彼女についていく。そう心に誓わせた一冊だったといえる。どうか、大森望氏が『小説の天才』と言い切るコニー・ウィリスの技に酔っていただきたい。