キャロルは14年前に一冊読んだきりだった。そのとき読んだのが「我らが影の声」。
これはオビの文句にだまされた本だった。『結末は誰にも話せない』なんて、とんでもないどんでん返しか驚愕の結末が待っていると思ってしかるべきではないか?それとも、多大な期待をよせてしまったぼくが悪かったのだろうか。いまとなっては具体的にどんな結末だったかとんと思い出せないのだが、大いに意気消沈したことだけは憶えている。しかし、内容がとてもおもしろかったのも事実だ。これでラストがオビの文句通りだったら、傑作として長らく記憶に残る作品となっていたと思われる。
そんなこんなでキャロルとは自然と疎遠になってしまった。これが出版順通りに「死者の書」から読んでいたら、おそらくまた違った結果になっていたと思うのだが、なぜかしらこういう結果になってしまったというわけだ。
で、今回リベンジというわけでこの短編集を読んでみた。まだ「死者の書」を読まないところにぼくの天邪鬼が如実にあらわれている^^。
おもしろかった。本書には11編の短編がおさめられているのだが、短めのから長めのまですべてにおいて驚きがあった。特に「おやおや町」「友の最良の人間」「細部の悲しさ」における物語展開の妙味にはゾクゾクした。読んでいて思わずうれしい悲鳴をあげそうになったほどだ。
また「秋物コレクション」「手を振る時を」「きみを四分の一過ぎて」「去ることを学んで」の四編は奇妙な展開もファンタジックな要素もまったくない至って普通っぽい作品だった。しかし、そこにも切り口の斬新さとでもいうべき味つけの妙が感じられ、おもしろかった。なにより短いのがいいではないか。
本短編集唯一のホラーといってもいい「ぼくのズーンデル」も好きな作品だ。一種の怪異譚とでもいうべき作品なのだが、怪異がジワジワでもなく突然でもなく十分に期待を膨らませておいて表出してくるところに留意したい。こういう書き方はとても新鮮だ。
「ジェーン・フォンダの部屋」はキャロル版地獄巡りのお話。まったく予想外の地獄の風景に笑ってしまう。オチもどことなく笑える作品だ。
表題作である「パニックの手」は、あやういところで少女愛を描いている。読ませますねぇ。ラストの一行も定番っぽいのだが、ぴたりと決まってかっこいい。
巻頭の「フィドルヘッド氏」は長編「空に浮かぶ子供」の作中作なのだそうだ。この作品がどういう具合に絡んでいるのか興味つきないところだ。
足早に感想を述べてきたが、総じておもしろかった。これで道は開かれた。これからはキャロルの遅れてきた読者として追いかけていこうと思う。いやあ、ずいぶん回り道してきたもんだ^^。