読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

ウィルキー・コリンズ「月長石」

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 物語の構造としては、事件が終息して後日に各関係者が、当事者視点でそれぞれの体験を証言するという体裁をとっている。それは、月長石盗難の舞台となったヴェリンダー家に仕える老齢の執事であったり、親戚の狂信的なキリスト教信者の女性であったり、顧問弁護士であったり、事件の捜査をした警部であったりする。

 各々とある人の要請にしたがって回想録を書いているのだが、それぞれ特徴があっておもしろい。

 共通して昔日のイギリス貴族的緩慢さと大仰な慎ましさが漂っていて、ほんとゆっくり読書するのに最適だ。ディケンズに代表される当時の大衆文学の最良の部分を堪能できる。

 本書を読もうと思ったきっかけは、コニー・ウィリス犬は勘定に入れません」に本書の真犯人の名が明かされているとの情報を得たからだった。

 最初この800ページ近い長さの古典ミステリを読み通すことができるんだろうかと危惧しないでもなかったが、読み始めたらそんな心配は杞憂にすぎないとわかった。

 この長大な作品をダレ場もなくクイクイ引っ張っていくのは並大抵のことではないと思うのだが、それをコリンズは軽々とやってのけている。トリック自体はやはりこの時代でしかあり得ないもので、現代では到底通用しそうにもないが、それはご愛嬌。ここは物語としての美点を堪能したい。

 一番印象に残っているのが、愛すべき老執事のベタレッジだ。英国特有の実直なユーモアに包まれたこの人の言動には大いに笑った。彼が心を慰めたり、範を求めたりするのに引っぱり出してくる「ロビンソン・クルーソー」は一種のギャグになっていて楽しめた。

 海外での評価はいざ知らず、我が国ではいまだに版を重ねているということは、本書にはそれだけ魅力があるということなのだろう。因みに、ぼくがよく引用する「東西ミステリーベスト100」では本書は51位だったことをここに記しておく。