読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

東野圭吾「幻夜」

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 本書は、あの大傑作「白夜行」の続編である。ここでちょっと「白夜行」について語ってみたいのだが、あれを読んだ時は正直ブッ飛んだ。ぼくの年代がまさしくあの作品で描かれた時代と同年代だったので、描かれる時代の趨勢がぼくの経験とぴったりシンクロしていたのだ。自分が見てきたことがそのまま作品に描かれているという体験は、この作品がはじめてだった。これはとても興奮した。それに加えてあのリーダビリティである。ちょうど読んだのが「秘密」のあとだったので、こんな傑作ばかり書くなんて東野圭吾もずいぶん凄い作家になったもんだと驚いたのを憶えている。「十字屋敷のピエロ」を読んで失望してから遠ざかっていたのだ。

 それだけ興奮した傑作の続編が出たと知ったときはうれしかった。だから、すぐさま読んだ。読んでみてわかったのだが本書の記述に「白夜行」の続編としての明確な記述はない。それを匂わせる記述は随所にみられるのだが、決定打となる言及がないのだ。これは作者の意図的な試みだと思われる。読者がそれぞれ想像して楽しんでください・・・みたいなニュアンスなのだろう。

 ぼくは本書に登場する新海美冬が「白夜行」の唐沢雪穂だと認識して読み進めた。だって、そのほうがおもしろいでしょ?あの女がまた登場するというだけで、ゾクゾクしてしまうではないか。

 「白夜行」が1973年から1992年までの物語。『幻夜』が1995年1月17日から2000年のミレニアムまでを描いているから、時系列的にも矛盾はない。根が単純なものだから、あとの細かい矛盾点には目をつぶって読んでいったのだ。

 えーっと、これは書いていいのかな?この本をこれから読む人がいるかも知れないが、ええい書いてしまえ!はっきりいって本書は前作よりは落ちる。ちょっとがっかりした。もしかしたら、前作ほどの追体験を得られなかったのが不満だったのかもしれない。逆にいえば、前作のその部分がそれだけエキサイティングだったということなのだろう。だから、これはほんとうにぼくの超個人的な意見である。指標にはしないでいただきたい^^。

 あいかわらず本書でも『あの女』はうまく立ち回る。『あの女』に天罰を下してやりたいと思うのは、ぼくだけではないだろう。サディスティックに聞こえるかもしれないが、ぼくは本当に『あの女』が打ちのめされる姿を見たいと思ってる。そうして大いなるカタルシスを得たい。

 だから彼女の行末を見届けたい。強くそう思う。

 願わくば、さらなる続編が書かれんことを。