スパークは英国を代表する女流作家である。しかし、いま現在スパークの作品を気軽に読むことはできない。以前は多く出てた翻訳本がいまは軒並み絶版となっている。
本書も然り。この本はスパークの幻想短編集なのだが、あの社会思想社の教養文庫から出ていた。みなさんもご存知のとおりこの出版社は事業を停止しているわけで、本書も気軽に読むことはできなくなってしまった。
ぼくがこの本の存在を知ったのは、ミステリマガジンの1994年1月号で特集していた『奇妙な味が楽しめる短編集50冊』という記事でだった。乱歩が名づけたこの『奇妙な味』というのが、ぼくは大好きで、この文字が書いてあるだけでついつい買ってしまうくらいなのだが、それが50冊もピックアップされてるというのだからたまらない。いつもはこういう雑誌は買わないのだが、思わず買ってしまった。
ぼくが『奇妙な味』といわれてまず頭に浮かべるのはサキである。新潮文庫のサキ短編集を読んだときの衝撃はいまも忘れない。巻頭の「二十日鼠」を読んだ時点で惚れこんでしまった。こんなおもしろい短編を書く作家がいたのかと驚いた。なんといってもオチがピタッと決まっているのが素晴らしい。
で、ミステリマガジンの特集なのだがここに紹介されている本は、そのほとんどが読んだことのない本だった。読んでいたのはわずか5冊。そんな『奇妙な味』の宝庫に本書は埋もれていた。
本書には11編の短編が収録されている。
すべて紹介はできないが、気に入った作品を紹介したいと思う。
まずそのアイディアが常人には思いつかないなと舌を巻いたのが「詩人の家」。
ここでは、主人公がこともあろうに『葬式』を買うことになってしまうのである。まさに幻想だ。
『葬式』を買った主人公は、それを列車の窓から投げ捨ててしまう。さて、その後に起こった顛末はいかに?
スパークのデビュー作となった「熾天使とザンベジ河」もその想像力に驚いてしまった。アフリカで真夏のクリスマスを祝う降誕劇。そこで天使に扮する男が舞台に上がるとそこには本物の熾天使がいた。
とにかくこの熾天使の描写が秀逸。伝えられる熾天使の姿そのままなのだが、そのインパクトは絶大。
ルシファーやベルゼブブ が堕天する前はこの最上階級の天使だったといわれているが、なるほどこの天使ならと頷いてしまった。
「リマーカブルという劇場」のイメージも素晴らしい。知り合い同士の茶飲み話から、とんでもない幻想世界が広がっていく。ノアの箱舟?月に住む人?う~ん、なんて自由な発想なんだろう。
そして表題作の「ポートベロー通り」。これは、乙一の「夏と花火と私の死体」と同じくして語り手は幽霊である。自分を殺した男に声をかける幽霊。しかしそこに怨恨はない。なんともドライでユーモアさえ感じられる作品だった。
気に入ったのは上記の4作くらいである。あとは、あまりみるべきものはない。大胆な発想はおもしろいと思うが訳文のまずさも手伝ってか、それほど印象に残らなかった。
だが、この作家には興味惹かれるものがある。もし手に入るのなら他の作品も読んでみようと思う。