読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

ウィリアム・ゴールディング「蠅の王」

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 時として人間ははてしなく愚かになり、またおそろしく弱い者になる。

 それは人生最大のピンチではなくて、とてもちっぽけな事がきっかけとなる場合が多い。

 心の暗部というものがあるなら大人はそれを隠そうとし、何かのきっかけがあってこそ一気に爆発し、表に出るものである。

 その点、子どもは心の暗部、残酷さといったものを隠したりはしない。平気で虫の脚をむしりとり、蛙の尻に爆竹を詰めこんだり、蛇に石をぶつけて殺してしまったりする。

 いじめ等も子ども社会特有の現象だ。子どもの世界では、人間の心の奥底にしまわれている獣性、残酷さ、愚かさなどが何でもない日常のものとしてまかり通っているのである。

 本書では状況こそ無人島への不時着という極限的な状況下での出来事として描かれているが、そこで噴出する心の暗部は決してこの極限でのみ現れるものではない。

 ここに描かれる集団の狂気と社会の形成は、そのまま今の世界のあらゆる場所で起こっていることなのだ。ぼくは、これを極論だとは思わない。悲しいかな、これが人間の世界であり歴史なのだ。

 子ども特有の残酷さと先に書いたが大なり小なり人間は残酷なものであり、つねにエゴイストである。

 秩序とモラルの上で成り立っている我われの社会は、どこかでくすぶっている誰かの獣性、残酷さとつねに隣り合わせであり、それはほら、いまこの瞬間にも世界のどこかでバンッ!とはじけている。

 集団心理もそう。その狂気でさえ、いつでもどこでも簡単に起こってしまう素地としてつねに人間の心に巣食っている。

 本書の圧巻であるラストの『人間狩り』は、なぜか他人事のようには思われず、いつか自分が体験する出来事のように思えてならない。

 この『人間狩り』の恐怖は心理的に体験してきたような気がする。人間は追う側になると、恐ろしいほど残酷になれるものである。本書に描かれるジャックの行動を愚かだと笑うことはできない。なぜなら人はいつでもジャックの側につこうとするものなのだから。