本書を読むまで、このゲイリー・ギルモア事件のことはまったく知らなかった。
その当時は、かなりセンセーショナルな事件として日本でも雑誌などで騒がれたらしいのだが、記憶に
はない。
さて、ではそれがどんな事件だったのかということなのだが、この事件の特異性は事件そのものにはな
い。この事件が有名になったのは犯人のゲイリーが自らすすんで死刑を望んだというところにある。事
件が起きたのは1976年。ゲイリーは二人の罪もない人命を奪ってしまう。これに対して死刑判決が
言い渡されるのだが、当時のアメリカは死刑廃絶の風潮喧しい時代で、刑の執行は判決に反してなかな
か施行されなかった。だが、ゲイリー自身が刑の執行を求め、彼は銃殺刑に処されたのである。
この顛末をノーマン・メイラーは「死刑執行人の歌」という長大な作品に仕上げている。こちらは、未
読だが、あまり食指が動かない。メイラーの作品自体あまり読みたいと思わない。
で本書なのだが、こちらはゲイリー・ギルモアの弟マイケル・ギルモアが書いたノンフィクションなので
ある。それを村上春樹が訳した。
本書を読んで強く感じたのは、人間の暗部の底知れぬ怖さである。本書が、あまりにも暗い地獄の底か
ら叫び続けているのは、家族にとりついた悪霊の執拗な追跡なのだ。
ゲイリー一家がたどる歴史は暴力の歴史であり、影の歴史であり、悲しみの歴史だった。
なぜ、この家族がこんな歴史をたどったのか。毎日繰り返される両親のケンカ、父親の絶対君主的空間
で繰り広げられる理不尽な折檻。そんな環境の中で育つ子は、歪んだ人間として成長してゆく。
まるで、目の前で見ているかのように繰り広げられるこの家族の血の歴史を、どうにもできない自分が
歯がゆく思われてくるほどだった。砂の城が崩壊するがごとくに崩れてゆくこの家族に何もしてあげら
れないこのやりきれなさよ。
かくしてゲイリーは自ら叫んだ死へのぞみ、銃殺刑となる。長兄のフランクは、自分の出生の秘密も知ら
ず、ただ一人母からの愛を受けられず、しかし最後まで自分の人生を犠牲にしてまで母の面倒をみ、零
落れた生活を強いられる。三男のゲイレンは、ゲイリーに近づこうとして歪んだ人生を踏襲し、若い命
を毟り取られてしまう。両親は、自らの血の歴史に呑み込まれいつも何かに怯え、あまりにも不幸な人
生をとじることになる。
唯一、末弟のマイケルだけがこの恐怖の世界から抜け出し、真っ当な人生を送っているというわけだ。
だがマイケルも家族に残されたトラウマによって、かなり辛い日々を送っている。
どうだろう?このとてつもなく重たい本から何が得られるだろう?
ぼくは、この本を読んで家族愛に目覚めた。子に対する愛情の大切さを知った。
この本を読んだ他の人たちは、いったいどういう思いを抱いたのだろう?