短編が連作形式で十編おさめられている。
それぞれ共通した世界観の中でさまざまな物語が語られるのだが、これが各話リンクしてるようでいて微妙にズレている。かといってパラレルな話でもない。ここで語られる世界では戦争が起こっている。
しかし誰もその戦争を実感していない。異星人との戦争のようだが、どんな戦争をしているのか皆目わからない。登場人物たちは、どことなく空虚だ。彼らも実体がないような存在なのだ。
まず電気熊がいる。作業用の二足歩行形ロボット。操縦者はお腹の部分に潜り込んで、神経モジュールを後頭部につなげて直接制御する。乗り手とロボットの自意識がリンクして自分の手足をあやつるように動かす。しかしこの電気熊、乗り手の記憶を保存していたりする。だから、操縦者は以前の操縦者の記憶を共有したりするのである。
そこで生まれる騙りの技法。いま語っているのは操縦者なのか、それとも彼の脳に入り込んできた他人の記憶なのか、はたまた電気熊の中に保存されている記憶自体の語りなのか。
そういった状況の中で百貨店の屋上で待っていた子供の話や、逃げた脳ミソを追いかけた飼育係の話や本当は落語家になりたかった研究員の話や、溝のなかに落ちていた人の話なんかが語られるのである。
ここにはさまざまなイメージが詰めこまれている。電気熊もそうだし、スーパー・コンピュ-ターとして作り変えられるアメフラシもそうだし、火星への移住もそうだし、意識と記憶の関係もそう。
作者は、それらのイメージの中から『消えさることの空しさ』や、そこに生まれる『郷愁』を描こうとしているのかもしれない。
ダイレクトにこちらに響いてくることはないが、匂いとしてはそういう匂いを感じることができる。さみしい気持ち、空しい気持ち、やさしい気持ち、不安な気持ち。
みんなひっくるめて、しかし曖昧になってしまうという稀有な物語。そういう話だった。