渡辺淳一は好きな作家ではない。これは、最初に断っておこう。
しかし、この短編集はすばらしいのだ。
本書には6作品収録されている。
「白き手の報復」
「空白の実験室」
「背を見せた女」
「少女の死ぬ時」
「女の願い」
「遺書の告白」
どれをとっても、深い洞察力と医学の知識に裏打ちされた傑作なのである。
ずっと昔にこの中の何作かはドラマ化されたことがある。当時ぼくは「少女が死ぬ時」と「女の願い」
をみた。特に印象深かったのは「少女が死ぬ時」だった。奥田英二主演のこの「きりぎりす」というド
ラマは、とにかくすごいインパクトで、何年もぼくの心に残り続けた。
話は単純である。心配停止状態になった少女を医師が蘇生する話なのだ。人工呼吸でも蘇生しない患者
の胸を切開し、直接心臓を握って拍動させるという方法をとった医師。自分が手を動かしている間は、
少女は生き続ける。医師は、助手と何気ない会話を続けながら心臓を握り続ける。全編がこの医師と助
手の会話で成り立っている。人の生死を左右する局面で、二人の医師の会話は時にユーモアを交え、一
般の目から見れば不謹慎きわまりない。しかしそこには現場を見てきた作者のまっすぐな視線がある。
現実はこうなのだ。仕事として職務をまっとうする医師も生身の人間なのだ。
医師が手を止めることによって、物語は終わる。ただ、その手を止めた理由が虚無感を呼ぶ。
傑作だと思った。
「女の願い」もよく憶えている。池上季実子主演だった。これは、ある女性が交通事故で亡くなるのだ
が、その死因が謎なのである。撥ね飛ばされたわけでもなく、ただ車に接触しそうになって身をよじっ
ただけでその女性は亡くなってしまったのである。いったい死因はなんなのか?
真相は、女の切実な思いを反映して痛々しい。これも、深く心に残った。
その他、幸福そうでわがままな妊婦に嫉妬にも似た悪意をおぼえる看護婦を描いた表題作や、医院内の
関係者が白血病で死んでいく謎を描いた「空白の実験室」、乳腺ガンで切り取った自分の乳房の標本を
たずねる女を描いた「背を見せた女」、幸福な家庭にしのびこむガンの恐怖を描き、涙を誘う「遺書の
告白」等々すべて傑作といっても過言でない出来栄えである。
もう一度言おう。渡辺淳一は好きではない。しかし、この短編集は傑作なのである。
なお、ぼくはこの本中公文庫で読んだのだが、いまは新潮文庫で出ているようである。ミステリファンの
方、ぜひお読みください。