ゴールデンウィーク、岡崎公園にあるみやこめっせでは恒例の古本市がひらかれる。タイミングがあえば行くようにしている。市内の古本屋さんがワンフロアにそれぞれブースを設け出店していて、見てまわるだけでもニ、三時間かかる。今年は掘り出し物があって、最後まで迷って断念したのだが、あの幻のピーター・ディキンスン「青い鷹」が4400円で売られていた。実物触れてうれぴ。
そこで、二冊だけ購入したのだが、そのうちの一冊が本書なのである。ちなみに値段は880円ね。早速読んでみたのだが、なかなか観念的な怪作だった。ある男が孤島の女城主がいる城へ行き、そこで特異な体験をするというものなのだが、描写が直接的な言葉が散在する幻想味あふれる冒険譚であり、エロティックな事が描かれているのに扇情的でないというなんとも不思議な読み心地だった。
途中、トンデモなくグロテスクな場面もあるし倒錯的な極致が描かれるが、健全な精神のわたくしとしましてはそこに喜びも興奮もましてや悲しみも見いだせないのでございます。読んでいて何度感覚の足場をはずされたことか。完全にぼくは観客であり、スタンスとしては受け身でしかない。そこに先へつなげるモーションもなく、高揚させる躍動もなく、ただジッと座って眼前でくり広げられる行為を見せられているという感覚しかなかった。「城の中のイギリス人」を読んだときはまだ明確なストーリーと直接的な描写で読んでいて理解が追いついたが、本書はことさら理解を阻もうとする。
たとえばこんな文章
私の頭は私の肉体の亀頭だ。私を包む黒い光の内部で私は勃起している。寒気で勃起している。この煌く竪坑を埋めてしまいたい。いや、そんなつもりはない。私のほうが吸い込まれるのだ。空間が私をしゃぶり〜
なんのこっちゃ!
だから、ぼくは突き放される。見た記憶は残るけど、感情は置き去りだ。ここでは個人の輪郭さえも明確でない。これが正しい読み方かどうかわからないが、これがぼくの読み方であり見解です。
