
表題作である短編と中編(長編?)の二編収録。どちらも老境に入った作家のアルツハイマーになってしまった妻へのラブレターである。ゆえに話はリンクしており、彼の妻への讃歌となっている。途中、こんな文章が出てくる。
「かたわらにひびく可憐な靴音を、彼は心に抱きしめる。」
なんとも愛おしい。愛する女性に対する素直な気持ちだ。素敵ではないか。最愛の女性である妻が認知症になってしまう。失禁し、徘徊し、忘却の彼方へ行ってしまう。時おり見せるまともな言動と彼に対する絶対の信頼と愛。それが、若かりし頃の彼らの出会いと馴れ初めの新鮮な情景と交互に描かれる。短い作品ながら、そこには彼ら夫婦の長い歴史が詰まっているから、その長い道のりを一緒に歩んだかのような濃密な印象を与えてくれる。
なんだそんな話、辛気臭いと思わないでいただきたい。確かに、まだ結婚もしていない若者が本書を読んでもさほど得る物はないかも知れない。だが、妻と共に長い時間を過ごしてきてもう六十手前になったぼくのような者がこの本を読むと、他人事ながらその境遇をなぞらえて胸の奥に熱い塊りがくすぶって、嗚咽をもらしそうになる。本書に描かれる老境の二人ほど年老いているわけではないし、妻もぼくも認知症を患っているわけではない。しかし、読んでいるうちにすべてが疑似体験のようにオーバーラップして心情がシンクロするような不思議な感覚にとらわれるのである。
いったい愛する者が変容していくという無機質な罰を受け入れることがぼくにできるのだろうか。こんな不安定な日々を過ごすことができるのだろうか。いや、できる。奥歯を噛みしめてぼくは思うのである。少しづつ常態を崩して人としての尊厳を失くしてゆく妻を、いままでと同じように愛することができる。いやいや逆もあり得る。ぼくのほうが認知症になるかもしれない。先のことはわからない。
手の甲を切ったと言ってくるので、どうした?と聞くとかまいたちにやられたと真剣に言う妻。若い頃は、落としたカステラを洗おうとしてすべて流してしまった妻。冷蔵庫を覗いていて、頭を引っ込める前に扉を閉めてしまった妻。実家にいる母親に固定電話で電話して、家にいるの?と聞く妻。ビラをポスティングしていて、郵便ポストにまで入れてしまう妻。買い物リストにベーコンのことをベコーンと書いてしまう妻。
すでに認知症か?と思ってしまうほど信じられない間違いを犯す妻だけど、ぼくは生涯彼女を愛する。本書を読んで強くそう思った次第。あ、認知症のことばかりピックアップして書いたけど、中編の「無限回廊」のほうなど若かりし頃のエピソード満載で、時代背景も伴ってかなり読み応えのある作品です。たまさかこれを八十をとうに越えた老人が書いたとは思えない新鮮さ。是非お読みください。